清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

《0からわかる!》袴田事件ってどんな事件?

こんにちは。
やっとこたつでぬくぬくと書くようになりました。

さて今回は、袴田事件についてあまりよく知らない方向けに、改めて解説しよう!という記事です。

よく知っている方は再確認していただいて、ぜひ拡散お願いします!

そもそも私がブログを始めたのは、袴田事件に興味がない人に向けてもっと発信したい!という思いからだったのですが、おそらく多くの人から見たらちんぷんかんぷんであろう傍聴記などを書いているうちに、当初の目的とはだんだんずれてしまっていました(笑)

今回は「袴田事件」ってそもそもどういう事件だったの?なぜ冤罪と言われているの?今はどういう状況なの?など、私の知る範囲内ですが、なるべく簡潔に、客観的に解説していきます!

偉そうに言うとりますが、私もつい最近まで、漠然と「袴田事件=冤罪」というイメージを持っているだけで、事件の詳細など何も知りませんでした。

再審が始まるということでいろいろと調べ始めて、「これはひどい」と思い、なんやかんやで今に至ります。

この記事を読んで同じように感じたら、心の隅だけでもいいので、「袴田事件」を応援してくださったら嬉しいです。
事件に関心を持つ、調べる、そっと応援する、それだけでも立派な支援活動だと私は思うのです。

また、もっと知りたい!という方は、下のほうにリンクや書籍などまとめてあるので、ぜひチェックしてみてください。

それでは、「袴田事件」について説明していきます。

事件の概要

1966年6月30日午前2時すぎ、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社「こがね味噌」専務の自宅で火災が発生。
焼け跡からは、専務(41)と、その妻(39)、次女(17)、長男(14)の4人の焼死体が発見された。
4人の遺体には、それぞれ10箇所前後、計40箇所以上の刺し傷があった。
また被害者宅にあったはずの現金の一部が発見されなかった。

事件現場である専務宅表口

8月18日、「こがね味噌」従業員で工場の寮に住んでいた元プロボクサーの袴田巖さん(当時30歳)を強盗殺人・放火容疑で逮捕。袴田さんは否認を続けていたが、後に犯行を自白。

裁判では「自白は強要されたもの」だとして全面否認するも、1980年に最高裁で死刑が確定。

1981年から再審請求審が始まり、2014年に釈放(しかし今も死刑囚のまま)。
2023年3月に再審開始確定、10月から再審公判開始。

現在、事件発生から57年、死刑確定からは43年経っている。
袴田さんは現在87歳で、姉のひで子さん(90)と一緒に暮らしている。
死刑確定後に発症した「拘禁反応」と呼ばれる精神障害は治らず、今も妄想の世界を生きている。

経過

事件発生から逮捕、起訴

1966年
6月30日 事件発生

7月4日 「こがね味噌」内の捜索が行われ、寮の袴田さんの部屋から、(肉眼では見えないほどの)小さな茶色い染みのついたパジャマを発見、任意提出。(血痕とは断定できていない

(→7月4日付の新聞社各紙の夕刊で「血染めのパジャマ」という表現とともに、「従業員H」の名前が報じられる。その後も、袴田さんに焦点を絞った捜査や、名指しの報道が続く。)

8月18日 袴田さん任意出頭、取調べ(14時間15分)、強盗殺人・放火容疑で逮捕
8月19日 取調べ(10時間30分)
8月20日 取調べ(7時間23分)
8月21日 取調べ(6時間5分)
8月22日 取調べ(12時間11分)
8月23日 取調べ(12時間50分)
8月24日 取調べ(12時間7分)
8月25日 取調べ(12時間25分)
8月26日 取調べ(12時間26分)
8月27日 取調べ(13時間17分)
8月28日 取調べ(12時間32分)
8月29日 取調べ(7時間19分)
8月30日 取調べ(12時間47分)
8月31日 取調べ(9時間32分)
9月1日 取調べ(13時間18分)
9月2日 取調べ(9時間15分)
9月3日 取調べ(9時間50分)
9月4日 取調べ(16時間20分
9月5日 取調べ(12時間50分)
9月6日 取調べ(14時間40分)自白開始
9月7日 取調べ(11時間30分)
9月8日   取調べ(11時間50分)
9月9日 取調べ(14時間)住居侵入、強盗殺人、放火の罪で起訴

袴田さんが自白に至るまでの取調べ時間は平均約12時間、長いときは16時間以上
猛暑の中で、トイレにも行かせてもらえず、睡眠もろくにとれなかったらしい。
また弁護人との接見も3回のみ、ほんのわずかな時間しか行えていない。

自白調書の概要

後の裁判で45通の自白調書が提出されるが、証拠として採用されたのは9月9日付の1通のみである。ここではその内容をざっくりとまとめておく。
(下線部分は後でまた説明します)

・6月30日の深夜1時半頃、金を盗むために、パジャマを着てくり小刀を持って、上から工場にあった雨合羽を着て侵入。
起きてきた専務に見つかったのでくり小刀で刺し、次女、長男、妻も刺す。
・途中で妻が投げてよこした金袋3つほどを持って、裏木戸から出て、線路を渡って工場に戻る。
工場にあった混合油をポリ樽に移して運び、再び専務宅に侵入、油をかけてマッチで放火。
・裏口のほうで手に持っていた金袋のことを思い出したが、1つしかなくなっていたので、中から札だけとって、再び裏木戸から逃走して工場に戻った。

裁判

1966年 11月、第一審(静岡地裁)開始 袴田さんは全面否認
1967年 8月、工場のみそタンク内から、血痕のついた「5点の衣類」が発見される
1968年 静岡地裁が死刑判決
1976年 東京高裁が控訴棄却
1980年 最高裁が上告棄却→死刑確定

再審請求審

1981年 第一次再審請求
1994年 静岡地裁が再審請求棄却
2004年 東京高裁が即時抗告棄却
2008年 最高裁が特別抗告棄却
 第二次再審請求(請求人は姉のひで子さん)
2014年 静岡地裁「再審開始、死刑及び拘置の執行停止」を決定釈放
2018年 東京高裁が再審請求棄却
2020年 最高裁が東京高裁に審理を差し戻し
2023年 3月、東京高裁が再審開始決定→確定
 10月から静岡地裁にて再審公判開始(2024年夏ごろ判決の予定)

第一次再審請求審だけで27年もかかり、死刑確定から43年経って、やっと再審が始まった。

再審手続きの規定は明確に定められておらず、また検察による不服申し立てが認められているために、再審請求審はこんなにも長引いてしまう。

しかし、2014年に静岡地裁が、再審開始に加えて死刑及び拘置の執行停止(=釈放)を決定したのは異例の判断!
しかも決定文で「ねつ造」という言葉を用いているのも初めてである(ほかの冤罪事件では「工作」などと濁されてきた)。

冤罪疑惑

さて、ここから冤罪だと言われている点を、大きなものだけ、なるべく簡潔に説明していきます。(ほかにも矛盾だらけで、語り始めたらキリがない)

自白の信用性

上に書いたように、自白までの取調べは1日平均約12時間に及び、ほとんど拷問のようなものであった。警察が威圧的に自白を迫っている生々しい録音テープも見つかっている。

また自白調書は45通も作られているが、その内容は変遷も多くて不自然な部分がある。裁判ではその自白調書のうち44通は除外されたのに、1枚だけはなぜか証拠として採用されたのである。

その調書を踏まえて下の項目を解説していくので、内容を再度書いておく。

・6月30日の深夜1時半頃、金を盗むために、パジャマを着てくり小刀を持って、上から工場にあった雨合羽を着て侵入。
起きてきた専務に見つかったのでくり小刀で刺し、次女、長男、妻も刺す。
・途中で妻が投げてよこした金袋3つほどを持って、裏木戸から出て、線路を渡って工場に戻る。
工場にあった混合油をポリ樽に移して運び、再び専務宅に侵入、油をかけてマッチで放火。
・裏口のほうで手に持っていた金袋のことを思い出したが、1つしかなくなっていたので、中から札だけとって、再び裏木戸から逃走して工場に戻った。

凶器はくり小刀

まず素朴な疑惑からいこう。
くり小刀という工作用の小刀一本で、4人を計40箇所も刺すことができるのだろうか。

事件現場で発見されたくり小刀の刃体

写真を見てもわかる通り、刃渡り12㎝ほどの小さなものである。
第2回公判で実物を見たが、おもちゃのような印象だった。

また解剖の結果、遺体にはこのくり小刀では作れない傷もあるし、肋骨まで切れている

目的は強盗

この事件は強盗目的であり、8万円ほどが奪われたとされている。

袴田さんには、急にお金が必要な理由も、特にお金に困っている様子もなかった。

また、被害者宅には多くの金銭や貴金属が手つかずのまま残されていた。
現金や小切手が数十万円ずつ、預金通帳の総額は1000万円近く、高価なアクセサリーなども大量。

4人もの殺害というリスクを冒してまで、大金には目もくれず数万円だけ盗っていく強盗がいるだろうか。
動機は強盗ではなく怨恨だと考えるのが自然ではないだろうか。

しかも、奪ったとされる現金のうち5万円は知人の女性に預けたとされ、それが匿名で警察署宛に投函されたものが、9月13日という起訴直後のタイムリーなときに発見されているのである。

犯行時刻

自白では、専務宅に侵入した時間は午前1時半頃で、一家は寝ていたとしている。

しかし、被害者4人は、腕時計や宝石のついた指輪をつけていたり、胸ポケットにペンを差していたりと、寝ていたとは思えない格好をしている。

事件前の22時10分頃、祖父母宅で生活していた専務の長女が自宅のシャッターを叩いたところ、中から父親らしき声が聞こえたがシャッターは開けてもらえなかったという。

このとき、すでに犯人が中にいた可能性はないのだろうか。

一方袴田さんには、22時半頃まで従業員とテレビを見ていたというアリバイがある。

犯人が侵入した時間は何時なのだろうか。

単独犯?

そもそも、たった一人で、しかもくり小刀一本で、4人を殺害できるだろうか。

被害者4人にはそれぞれ10個前後の傷がある。一人が刺されている間、他の家族は逃げたり反撃したりしなかったのだろうか。

被害者の傷は同じ場所に集中していて、手で刃物を防いだような傷もない。

また被害者宅は両隣の家と接近している(下図の通り)のにもかかわらず、誰も物音や叫び声を聞いていない。

つまり、被害者は抵抗できない状態だったのではないかと考えられる。

被害者宅周辺の地図(手書きなので線がガタガタです)

裏木戸から逃走

ここでも上の図を見てほしい。

自白調書で「裏木戸から逃げた」とされているのは、被害者宅と工場の位置関係からして、工場の人間なら当然裏木戸から出るからである。

しかし、裏木戸には閂がかかっていた
そして火災発生後に消火活動を行った人々によれば、表口のシャッターに鍵はかかっていなかった

この事実から見れば、表口から逃げたとするのが当然なのだが、検察は「閂がかかった状態で裏木戸をこじ開けて逃げた」と主張し続けていた。

それを裏付けるように、奪った金袋2つは、裏木戸から工場の間に落ちていたとされる。

「裏木戸」と「金袋」は、事件と工場を結びつける重要な証拠だったのである。

しかし、果たして裏木戸からの逃走が可能なのか、金袋は犯人が落としたものなのか。

雨合羽と鞘

検察は、被害者宅の中庭に工場の雨合羽が落ちていて、その右ポケットにくり小刀の鞘が入っていたと主張する。

自白調書では犯行着衣はパジャマであり、「パジャマが白っぽくて人目につくと思ったから工場にあった雨合羽を着て行き、犯行前に中庭で脱ぎ捨てた」とされている。

しかし、詳細は後述するが、犯行着衣はパジャマではなく5点の衣類上下黒っぽい)であると、検察は途中から主張を変更した。

そうなると、重くてガサガサと音の鳴る雨合羽を、しかもこの日は熱帯夜であったのに、着る理由が消える。

また、消火の際に工場の従業員が雨合羽を着ていたことが確認されている。
雨合羽の下に焼けたガラスなどが落ちていたという実況見分調書もある。

雨合羽と鞘は、凶器(くり小刀)と工場を直接結びつける重大な証拠になりうるが、果たして、火災前からここに落ちていたのだろうか。

5点の衣類のねつ造疑惑

さあ、満を持して、5点の衣類について。

事件から1年2ヶ月経った1967年8月31日、従業員が工場のみそタンクの中から血痕のついた5点の衣類を発見し通報。検察はすぐに犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更した。

5点の衣類とは、ねずみ色スポーツシャツ、白半袖シャツ、鉄紺色ズボン、白ステテコ、緑色ブリーフで、麻袋に入った状態で味噌に漬かっていた。

従業員であった袴田さんが、遅かれ早かれ発見されるみそタンクの中に、犯行着衣を隠そうという発想になるだろうか。みそタンクの斜め向かいには、衣類を焼き捨てるのに絶好のボイラー室もあった。

袴田さんは、似たようなものは持っているが、自分のものではないと主張。
ズボンにクリーニング屋が入れたはずの名前も入っていない。

実際にズボンの着用実験も行ったが、太ももすら入らなかった
ズボンのタグには「B」と表記があり、検察はこれを大きいサイズを表す記号だとして、「味噌に漬かって縮んだだけで犯行当時は穿けた」と主張し、裁判所もそれを認めた。

しかし、ズボンの製造会社は、初めから「B」は色を表すと言っており、検察はそれを誤認していたか、あるいは隠ぺいしていた。

また、事件から5日後の7月4日、警察はみそ工場内の捜索を行っていて、当然タンクの中も見るはずだが、衣類は発見されていない
このときのタンク内の味噌の残量は、高さ数センチ~十数センチほどと思われ、衣類があれば確実に気付くはずである。

となると、捜索が行われた7月4日から仕込みが行われた7月20日の間に隠された可能性はあるが、すでに警察が袴田さんを徹底的にマークしている時期であり、果たしてそんな大胆な行動に出るだろうか。

ここで注目したいのが衣類の色である。

検察が提出した5点の衣類の写真

実はこの写真は、再審請求審の中で比較的最近になってやっと開示されたもので、昔の裁判で見せられていた写真はもう少し茶色いものだった。

「1年2ヶ月味噌に漬かっていたにしては衣類が白すぎるのではないか?」という素朴な疑問を抱いた支援者が、血痕をつけた衣類を味噌に漬ける実験を行った。

袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎さんである。とにかくパワフルな物凄い方だ。

これが実際に1年2ヶ月味噌漬けにした衣類である。

1年2ヶ月味噌漬け実験報告書 | 袴田事件弁護団ホームページから引用

1年2ヶ月味噌漬け実験の結果

衣類は真っ黒に染まり、一目見て血痕だとは判断できない

比較して見ると、検察の写真の衣類は白すぎて、1年2ヶ月も味噌に漬かっていたようには到底見えないのがわかる。
となると、いつ、誰が、タンクに衣類を入れたのか。

支援者によるこの実験が証拠として認められ、再審開始決定に大いに貢献したのである。一般人の実験が証拠になるのは異例のことだ。

もう一つ、再審開始に貢献したのはDNA鑑定である。

検察が5点の衣類を犯行着衣としている証拠は、付着している血痕の血液型が被害者と一致しているからという点だ。

しかし、DNA鑑定の結果、5点の衣類についた血痕と、袴田さん、被害者4人のDNA型は誰も一致しなかったのである。

再審公判

再審公判は、10月27日に初公判、11月10日に第2回公判、11月20日に第3回公判をすでに終え、年内は、12月11日、12月20日の2回が決まっている。
来年の夏くらいに判決の予定である。

初公判では、検察側、弁護側がそれぞれ冒頭陳述を行った。

検察側の主張

①犯人がみそ工場関係者であることが強く推認される上、証拠から推認される犯人の事件当時の行動を被告人が取ることが可能であったこと

凶器はくり小刀で、被害者宅に落ちていた工場の雨合羽のポケットに鞘が入っていたこと、工場にあった混合油が放火に使われたことなどから、犯人はみそ工場関係者である。

②みそ工場の醸造タンクから発見された5点の衣類が被告人が犯行時に着用し、事件後に同タンクに隠ぺいしたものであること

5点の衣類は犯行着衣であり、かつ袴田さんのものである。ねつ造はしていない

③被告人が犯人であることを裏付けるその他の事情が存在すること

袴田さんが左手中指に傷を負っていることなど。(本人は消火の際にできた傷と主張していた)

弁護側の主張

・犯人は外部の複数犯で、動機は怨恨

袴田さんが一人で4人を殺害するのは不可能。多くの現金や貴金属が残っていたので強盗ではない。

・犯人は工場関係者だという証拠のねつ造

工場の雨合羽に鞘が入っていたことや、金袋が裏木戸付近に落ちていたことは、ねつ造の可能性がある。

・虚偽のパジャマの鑑定

当時の技術では、肉眼で見えないほどの血痕で血液型鑑定をするのは不可能だったし、鑑定結果が出る前にすでに「血染めのパジャマ」という報道がされたのは、虚偽の情報をリークしたからである。

・5点の衣類のねつ造

DNA鑑定や衣類の色などから、5点の衣類がねつ造であることは明らか。

・袴田さんは無罪!

今後の争点

初公判では検察の主張①の立証、第2回公判は弁護側の反証、第3回公判は検察の主張②の立証が行われた。

次の第4回公判では、検察の主張②の立証の続きと、弁護側反証が行われる。

やはり、一番の争点は「5点の衣類」はねつ造かどうかだろう。

検察側は、衣類の色については「血痕に赤みが残る場合がある」という鑑定で反論。DNA鑑定結果の信用性については次回争うようだ。

弁護側は、矛盾点を一つずつ指摘し、ねつ造という方向を目指す。

検察側の、事件の概要的な部分に関する主張は、以前の裁判とほとんど変わらない。

しかし検察は、再審では自白は用いないことにした。

そのため、自白のみに頼っていた部分、例えば動機だったり、侵入経路、奪った金の行方など、今まで以上に矛盾点や曖昧に濁さざるを得ない部分が多くなったようだ。

今後の裁判の流れははっきりとはわからないが、一刻も早く真相が解明され、袴田さんに真の自由が訪れることを願うばかりである。

もっとくわしく

さて、いかがでしたでしょうか。

できるだけわかりやすく説明したつもりなのですが、説明が足りなかったり、逆に多すぎたり、わかりにくかったらすみません。

これをきっかけに、袴田事件に関心を持ってくださる方が増えたら、私にとって一番の幸せです。

もっと詳しく知りたい方へ、見るべきサイトや読むべき書籍をまとめます。
私もまだまだ勉強中の身なので、紹介できていないものもあると思いますが悪しからず……。

リンク集

袴田事件弁護団

弁護団の公式ホームページ。弁護側の主張や証拠など、ここから見ることができる。

袴田さん支援クラブ | 袴田巖さんに再審無罪を!

袴田事件についての情報を見るならここ。また、第三土曜日には浜松で「袴田事件がわかる会」を開催していて、毎回ビッグゲストがいらっしゃるので告知を要チェック。

袴田巖さんに無罪判決を! 【袴田事件】 - YouTube

「袴田さん支援クラブ」が運営されているYouTubeチャンネル。勉強になる長めの動画もあり、わかりやすいショート動画もあり。ぜひチャンネル登録よろしくお願いします!

袴田家物語

袴田さんの自宅に通って支援をし続けている猪野待子さんによるブログ。巖さんとひで子さんの微笑ましい日常を見ることができる。

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

2014年に静岡地裁が出した再審開始決定の全文がPDFで読める。かなりのボリュームだが興味がある方はぜひ。67ページ、結論の中で「5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり」などと警察・検察をはっきりと非難する部分がある。

書籍等

他にもたくさんありますが、私が読んだものだけ紹介します。

・山本徹美『袴田事件ー冤罪・強盗殺人事件の深層』(プレジデント社、2014年)

私が袴田事件にのめり込むきっかけになった本。事件の詳細と矛盾点が事細かに挙げられている。この記事を書くのにも参考にさせていただいた。

・いのまちこ編『デコちゃんが行く』(静岡出版社、2020年)

姉の袴田ひで子さんの半生と、袴田事件の流れがよくわかる、泣いて笑える傑作漫画!

袴田巌さんを救う会編『主よ、いつまでですか』(新教出版社、1992年)

巖さんの獄中書簡集。繊細な表現力や、家族に対する気遣い……これが殺人犯の手紙だろうか?と誰もが思うような美しい文章が並ぶ。

浜田寿美男袴田事件の謎ー取調べ録音テープが語る事実』(岩波書店、2020年)

心理学者の著者による、取調べテープの書き起こしと丁寧な分析。録音を聞くだけでも威圧感はよく伝わるのだが、専門家による解説を読むと、取調べの異常さがより体感できる。

・尾形誠規『完全版 袴田事件を裁いた男ー無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元エリート裁判官・熊本典道の転落』(朝日新聞出版、2023年)

第一審の死刑判決の際、実は3人の裁判官の中で1人だけ無罪を確信していた裁判官がいた。しかし多数決で負けて死刑判決文を書かされ、その罪悪感から転落していく。無実なのに死刑になる苦悩はもちろんのこと、無実の人を死刑にする側の苦悩についても考えさせられる。

今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事をきっかけに袴田事件に関心を持ってくれる方が一人でもいますように、と願いを込めて公開。