清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

2023年を振り返って。そして2024年の抱負

2024年がやって参りましたね。
昨年お世話になった多くの皆様に心の底から感謝申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

また、能登半島地震、航空機事故によって被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

新年早々辛いニュースが続きますが、これから皆様にとって幸福がたくさん訪れますよう、お祈り申し上げます。

今年はきっと、巖さんが真の自由を取り戻し、ひで子さん、また弁護団の先生方、支援者の方々などに素晴らしい幸福が訪れることでしょう!

私も微力ではありますが、無事に無罪判決が下されるまで、気を抜かずがんばっていきます。年女という節目でもありますし、ここでしっかり気合いを入れておこうと思います。よし!

習字の上手な友達に書いてもらったやつ~

さて、この記事では、私の2023年の振り返りやら何やらと、2024年の抱負を書いていこうと思います。かなり個人的なことをだらだらと書いているので、興味がある方だけお付き合いください~^^

大学卒業、無為に過ぎ去る日々

今からちょうど一年前、私は京都の下宿先で一人、大学の卒論を出し終えて卒業を待つだけの無為な日々を過ごしていた。

大学生活はそれなりに楽しかった。しかし、卒業したとてやることもない。
秋頃まではそれなりに就活もしていたのだが、どうにもこうにも上手くいかず…そんな中で、もともと患っていたうつ病が次第に悪化、気付けば心は粉砕骨折していた。

大学卒業式。自堕落で気ままな学生生活でした

就職が決まった友人は引っ越しやら手続きやらに走り回り、私はカーテンを閉めた部屋で一人。誰かと話すことも笑うこともなく、友達は本と酒だけ。

スマホもほとんど見なかったので、袴田事件再審決定のニュースも知らなかったか、もしくはさほど気に留めてはいなかった。

実家暮らし引きこもりニート

4月、清水の実家に帰ってきた。
数ヶ月間は精神的にかなり不安定で、ほとんどベッドから出なかったと思う。あまり記憶はない。

ほとんど引きこもっていたが、図書館だけには通った。
小説もたくさん読んだが、事件系のルポルタージュ本や、裁判や刑法など、司法関連の本も手当たり次第によく読んでいた。

私はもともと事件などに興味があって、ただ好きな本を趣味として読んでいただけにすぎない。法学部出身でもないし、勉強をしていたわけでもない。

だから司法などについては完全な素人だし、今も基本的には怠惰でいろいろと意識の低い人間だ。

全くの無知から、袴田事件に引き込まれる

8月か9月頃だったか、袴田事件再審の初公判期日が決まりつつあるという記事を見て、「そうか、静岡地裁でやるのか」と思った。そんなことすらわかっていなかった。

見た瞬間に行くことを決めた。歴史に残る重大な再審に、どうせ暇な私が、行かない理由もなかった。その足で図書館に行き、関連の本をあるだけ全部借りてきた。

いくつか書籍を読み、こんなに酷いことがあるのか…と衝撃を受けた。袴田事件の全貌を知れば、こんなの最初からすべてがおかしいと誰でもわかるのでは…?

私は本当に何も知らなかったのだ!
袴田事件も含む過去の冤罪事件は、「ミス」や「間違い」だと思っていた。「捏造」や「隠蔽」によって無実の人を「意図的に」陥れる、そんな荒唐無稽なことが現代の日本にあるなんて、想像すらできなかった。

無罪判決をこの目で見届けなければいけない、何だかそう感じた。清水の人間として、事件を知らなければいけない、風化させたくない、という勝手な使命感のようなものも抱いていた。

初公判の衝撃

そして迎えた2023年10月27日袴田事件再審初公判。午前8時半頃の静岡地裁前は支援者に報道陣に大賑わい。

静岡地裁前で横断幕や旗を掲げる、各地から集まった大勢の支援者。初めて生で拝見したひで子さん。闘う人々は皆若々しく、くらりとするほどの熱気を感じた。

傍聴券は外れ、さてこれからどうしようかときょろきょろしていたところ、支援者の方に声をかけていただいた。そこから他の支援者の方ともお話しさせていただき、記者会見までしれっと居座っていたのだった。

あの日の何とも形容しがたい熱狂はまだ忘れられない。私も何かしたい!という思いが溢れた。

「支援する」ということ

しかし、私は正直、支援者という立場に立つことには迷いがあった。支援者の熱さに恐怖すら感じてしまったのもあるし、そもそもこのような支援団体=過激というようなイメージもあった。
まあ、ある意味でそれは正しい。社会を動かすのはいつだって非常識で型破りな人間なのだ。この再審だって、そんな方々がいなければ実現していなかった。

しかし、基本的には皆穏やかで知的で魅力的な方々であり、今まで大変よくしていただいている。すでに無罪判決が出たのかと錯覚してしまうほどの和やかさも常にある。私は支援者の皆様のことを心から敬愛している。

袴田事件支援者の方々と。(第3回公判)

それでもなお、自らを「支援者」と呼ぶことに躊躇いを感じてしまうのは、単に自分の未熟さ故である。すでに再審が始まっている今、物凄い支援者の方々が揃っている中で、私にできることなどほとんどない。

何かしたい。でも何をするべきか。何ができるか。そんな思いは、今でもまだ頭の中をぐるぐるしている。でも、とりあえず使えそうな私の武器は3つはあるかな、と考えた。

武器①:若さ

支援者の方々はかなり平均年齢が高めで、23歳の私は、まあいつもポツンと浮いている感じだ。若いというだけで広告塔になるのなら、好きに使っていただいて構わない。

また、支援者の方々でスマホやパソコンを使える方も少ない。やはりここは若者として、ネットはどんどん活用していきたいと思っている。のだが…ここに辿りついてくださる時点で、すでに興味を持っている方がほとんどだと思う。

私としては、袴田事件を知らない人、興味のない人を呼び込みたいと思っている。何かしらでバズったら良いのだが…。

支援者の方々とお話ししていて、やはりジェネレーションギャップを感じることは多い。まあそれはお互い様だし、持ちつ持たれつになればと、生意気に何でも発言するようにしてはいる。

武器②清水生まれ

初公判のときに、「清水出身”なのに”すごいね」と声をかけられて、首をかしげたことがある。私は「清水出身”だから”来た」つもりだったのだ。

清水、特に事件現場付近では、今も風当たりは厳しいらしい。中学一年生のとき、袴田さんが釈放されたというニュースを、先入観なく眺めることができた私は、とても恵まれていたのだと後々気付いた。

実際に、事件当時から清水在住で、未だに袴田さんが犯人だと言う方とお話ししたことがある。恵まれている私には、まだこんなことを言っている人が存在する、ということ自体が信じられなかった。悔しくて、精一杯”弁護”したが、話はずっと平行線。なんだか泣きたくなった。

無理もないことなのかもしれない。しかし、清水の人だからこそ、この事件から目を背けるべきではない、私はそう思う

武器③?:文章力

まあ、武器かはわからないのだが、少なくとも文章を書くことは好きである。そのせいでブログがいつも冗長になってしまう。すみません!

昔から本を読むことと文章を書くことが好きで、小さいときから夢はずっと作家だった。大学時代は文芸サークルで小説の執筆に取り組んでいた。このサークルの仲間の存在が、まだもう少し夢を見ていてもいいかな…と思わせてくれている。

今もこうして文章を書くのが楽しい。私の言葉が少しでも誰かの役に立てていれば嬉しい。自分の言葉で社会を動かしてみたい、それが私の野望である。

”清水っ娘”爆誕

そして生み出されたのがこのブログだ!自分で名乗るのは恥ずかしかった”清水っ娘”の響きにも、だんだん慣れてきている(笑)

袴田事件に興味がある人はもちろんだが、私はやはり「恵まれた」若者たちに読んでほしい。Z世代とか呼ばれる私たちは、すでに「袴田事件=冤罪」の世論の中で育ってきた。あとは知るだけだ。

しかし興味のない人に届けるのはなかなか難しい。何か策を打たねば...。

このブログは、まったく袴田事件のことを知らなかった若い女が、再審を追いかけているうちにいろいろ学んでいくドタバタ奮闘記、みたいな感じを出そうと思っていた。

しかし最近では、もはやただの一般人としての感覚がわからなくなっている気がする。思い描いていた方向性からはどんどん外れていくし、更新も遅いし、もはやどう軌道修正するべきかわからなくなっています(笑)

いつの間にかズブズブに

公判や集会に顔を出し、ブログを書き、手作りの名刺もどきを配り、などしているうちに、すっかり支援者の一員のようになってしまった。浜松にも行き、袴田家にお邪魔させていただき、先月は巖さんとお友達にもなれた。

巖さんと初対面したとき(11/18)

大変有難いことに、支援者の方々からブログの記事を褒めていただけたりもして、少しずつ認めていただけているのかな、と勝手ながら感じている。

こうして活動することは、言葉を選ばずに言えば、ただ「楽しい」「面白い」。様々な分野で勉強になるし、充実しているなと感じる。袴田事件に飛び込んだことは、私の人生にとって素晴らしい経験になると思う。

しかし、私が今こうして活動できているのは、ひとえに巖さん・ひで子さんや、弁護団や支援者の方々の血の滲むような努力の結果である。いつ何時も、皆様の長年の努力への敬意は忘れてはいけない。私がうまい汁を吸うことは絶対に許されないのである。

それを踏まえたうえで、袴田巖さんに無罪判決が出るまで、私も全力で走り抜こうと思っています。

第5回公判前。ひで子さん、弁護団の先生方、今年も頑張ってください!

2024年ガチ抱負

ここからやっと2024年の抱負を述べていきます。
今年は大きく飛躍できる一年にしたいと思っているので、割とガチなやつです。

①貪欲に、がむしゃらに。

この活動の中で、書くことを仕事にしたいという気持ちがだんだん強くなってきた。

実力はもちろん必要だが、使えるものは使う、行けるところは行く、できることはやる、そんな中でどこに落ちているかわからないチャンスを掴み取りたい。

自分の成長のためにも、たくさんのことを学び吸収する年にしたい。私の座右の銘は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。肝に銘じて行動するぞ。

まずこのブログの方向性、ターゲット、書き方などを一度軌道修正して、新生”清水っ娘”(?)を爆誕させたい。もっと一般の人々に知っていただけるよう、一度立ち止まって考えてみたい。アイデア等、随時募集中!

そして、目論んでいることもある。落ち着いたら関係者に取材をして、何かしらまとめてみたいということ。

私は袴田事件についてもっと知りたい。私が知らない間に、誰がどのように動いて、再審開始、そして後の無罪判決まで導いたのか。私は単純にそれが知りたい。関わってきた人の人生が知りたい。

②太く、長く。

ブログを始めてからここが一番の課題。できるだけたくさん、そして継続的に活動を頑張りたい。

私はADHDを持っている。もちろんそのせいだけではないが、オン/オフの切り替えやタスクの管理、情報整理なんかが超苦手だ。おまけにうつ病パニック障害もあって、心身ともにまあ常に不調ではある(笑)

一度集中してしまうとそこからずっと追われている気分になったかと思えば、ぷつっと一週間以上電池が切れたようになったりする。

自分の中でルールを明確に決めて、生活を改善していきたい。無罪判決まででも、まだまだ長い闘いだ。それに、そろそろ甘えていられる歳ではないこともわかっている。すぐに治るものではないから、生きていくためには自分で何とかするしかないのだ…。がんばろう。

③人生を楽しむ!

とはいえ、やっぱり楽しく生きたい!いろいろ挑戦したい。冒険したい。好きなことをとことんやってみたい。ギリギリ若気の至りで許されるうちに、ある程度の恥も外聞も捨てて、やりたいことは全部やってみたい。そんな一年にしたいです。

 

はい。とても長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方は、私がどういう人間なのか割とわかったのではないでしょうか(笑)

そんなわけで今年も頑張って参ります。どうぞよろしくお願いいたします。