清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

【追悼・西嶋弁護団長】第6回公判 /「時間がない」ボクサーの叫び【袴田事件再審】

2024年1月16日火曜日、今年初めとなる、袴田事件再審第6回公判。この日はかなり寒いということで、防寒をしっかりして静岡地裁に向かったのだが、むしろ少し汗ばむくらいで、美しい青空が広がっていた。

その3日前、とても悲しい知らせが届いた。

袴田事件弁護団長の西嶋勝彦先生が、2024年1月7日に82歳でお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

車椅子に酸素チューブというお姿でも、いつも力強く聡明に弁護活動を続けられる姿勢を、心から尊敬しておりました。

実は、昨年12月の第5回公判の際、私が裁判所1階で休んでいたところ、気付いたら近くに西嶋先生がいらっしゃっていて、なんと、西嶋先生のほうから私に話しかけてくださったのです。突然だったのもあり大変恐縮しながらでしたが、ほんの少しだけお話しさせていただけました。

まさかあれが、最初で最後の会話になってしまうなんて…。これからもっともっとお話しさせていただきたかったです。無罪判決を見届けていただきたかったです。その暁には、一緒に日本酒で祝杯を上げたかったです。さみしくて堪りません。

第5回公判の際。大切な1枚。

第5回公判の際は、朝弁護団とひで子さんを送り出すときに横断幕を持たせていただいた。

西嶋先生のお顔が隠れないように、なるべく下で持つように指示されるのだが、たくさんのカメラに緊張して、つい手が上がりそうになるのを必死で下げながら歩く。そんな努力ももう要らないんだなあ......と気付く、そんな折に触れても、寂しさが溢れ出す。

訃報を聞いた瞬間、頭が真っ白になって、気付けば数時間が過ぎていた。悲しさと虚しさからなかなか抜け出せず、自分が西嶋先生に非常に深い敬愛の念を抱いていたことに、今更ながら気付かされた。

私ですらこれだ。長年共に闘ってこられた方々の悲しみを思うと、それにもまた胸が苦しくなってしまう。

でも、西嶋先生はきっとお空から見守ってくださっているから、絶対に大丈夫。いつまでも凹んでいても仕方ないし、無罪判決まであと半年、最後まで走り抜こう。

西嶋先生、ありがとうございました。(2023.10.27)

 

さて、ここから、第6回公判の日の話。

日本プロボクシング協会の皆様

この日は、日本プロボクシング協会から、袴田巌支援委員会委員長の新田渉世さん真部豊さん松岡修さん、そして元世界チャンピオンの飯田覚士さんの4名がいらっしゃった。

午前9時ごろ、日本プロボクシング協会の皆様

1980年に最高裁で巖さんの死刑判決が確定すると、ボクシング関係者の方々がすぐに支援活動を始められた。そして現在まで、ボクシング界が一丸となって支援活動を続けられている。
私のTwitter(現X)のフォロワー様にも、ボクシング関係者の方が多く、その支援の輪の大きさには驚かされる。

さすがはボクサーというものか、皆様キリっと精悍な顔つきをされていて、気圧されるような存在感がある。ご挨拶させていただくタイミングを窺うも、なかなか勇気が出ずモジモジしていた。

すると、「清水っ娘!」と呼ばれて、ヒエッ!となる。「読んでるよ~」と優しく話しかけてくださったのは真部さん。こんな風に声をかけていただくこと自体初めてで動揺してしまったが、めちゃくちゃ嬉しかったです。ありがとうございます...!!!

この日の傍聴希望者数は104人で、傍聴席26席に対して、倍率はぴったり4倍。
単純計算で4人のうち1人は当たる計算なのだが......残念ながら4人とも落選。私もこの日は外れてしまった。

静岡地裁前、ボクシング協会の皆様と、弁護団とひで子さん。西嶋先生もともに。

「公平なリングで試合を」ボクシングの大切な仲間への思い

弁護団を送り出したあと、日本プロボクシング協会の皆様による記者会見が行われた。

袴田巌支援委員会委員長の新田さんは、人々の関心が薄れないように、ボクシング界を挙げて活動し続けていることを強く訴えた。支援活動をアピールするために、缶バッジなども作っている。(私も一ついただいた!ありがとうございます!)

そして、ボクサーとして、「公平なリングで試合をしてほしい」と語り、検察が証拠開示を行わないなど、再審制度のあり方について苦言を呈した。

また、仕事の都合などもある中で東京から来たのに、4人のうち1人も傍聴できないという現状を嘆き、より開かれた裁判へ、と傍聴席の拡大などを求めた。

事件当時、巖さんが逮捕された理由の一つには、元プロボクサーだからという偏見があった。元世界チャンピオンの飯田さんは、今頑張っている現役のボクサーのためにも、そのような偏見は絶対にあってはならないと語気を強めた。

また、プロボクサー時代の巖さんの最高位は、日本フェザー級6位。また、年間19試合という、年間試合数の日本最多記録を保持している。今のプロボクサーでは、試合数は多くて年間4、5試合ほどで、巖さんの記録は想像もつかないほどだという。

飯田さんは、そのタフさがあるからこそ、辛い獄中生活にも耐えられたのだろうと、「ボクシングって凄い」を体現した選手として、巖さんを尊敬していると話した。

また、袴田事件の再審が始まった時点で、すでに終わったような風潮があるが、「まだ終わっていない」ということを強くアピールしていきたいと語った。

真部さんは、2014年3月、静岡地裁が再審開始決定を出したときも、同じ場所に来ていたという。それから10年の年月が経った今になっても、未だ無罪判決が下されていないことに憤りを見せた。

松岡さんは、巖さんはボクシングの大事な大先輩であり仲間であるとして、もう高齢で時間がない1日も早い無罪判決を、と強く訴えた。

ボクサーの強さと優しさ

失礼ながら、私はボクシングをはじめ格闘技にはとても疎い。しかし、お話を聞いていて、ボクサーの方々の優しさや、仲間意識の強さはよくわかった。単なる支援活動というよりも、巖さんに対する厚い友情のようなものを感じる。

また、ボクシングというスポーツは、自分との闘いという部分が大きいのだろう。今回お会いした皆様も、巖さんも、身体だけではなく、精神的にもぶれない軸を持っているように見える。その精神力の強さ故に、他者に対して思いやりがあるのではないだろうか。

また、「闘い」に対する感覚が、一般人とは少し違うように思った。常に生命の危険と隣り合わせのスポーツだからこそ、「ルールに則り公平に闘う」という意識が非常に強いのではないか。

巖さんは、元プロボクサーだからこそ、あの過酷な取調べでも20日間も耐えたのだろうし、死刑が確定するまでは、面会に行ったひで子さんや兄弟が、逆に励まされるほど元気だったという。

しかし、そんな巖さんの精神すら蝕んでしまうのが、死刑制度の恐ろしさである。

袴田事件と関わるなかで、ボクシングへの偏見どころか、魅力ばかりを知ることになっている。いつか機会があれば、試合を見に行ったりもしてみたいものだ。(ちょっぴり怖いけれど......)

かっこいいボクサーの皆様と、ファイティングポーズ!

第6回公判概要

傍聴はできていないので、ざっくりと内容だけ。

今回は弁護側から、主に以下の点について。
(1)5点の衣類:損傷などについて(角替先生、西澤先生)
(2)共布について(笹森先生)
(3)5点の衣類:麻袋などについて(小川先生)
(4)遺体の写真について(同上)

(1)5点の衣類:損傷などについて

5点の衣類の中の鉄紺色ズボンには、右すねの部分にかぎ裂きの損傷がある。そして、巖さんの右すねには大きな傷があった。巖さんは、犯行時に専務に蹴られてできた傷だと自白した。

しかし、逮捕時の身体検査では、右すねの傷についての記載はない。全身くまなくチェックされ、ほんの小さな傷でも記載されているのに、だ。つまり、右すねの傷は逮捕後にできたものである。

それならなぜ、犯行着衣のズボンに、逮捕後にできた傷と同じ位置の損傷があるのか。......後から損傷を作ったとしか考えようがない。

また、巖さんの右肩には怪我があり、5点の衣類の白半袖シャツ、ねずみ色スポーツシャツにも穴が開いている。しかし穴は、上着のスポーツシャツには1つなのに、下着の白半袖シャツには2つ。数が不自然である。

法廷では、ズボンとスポーツシャツが実際に展示された。

また、検察側は、警察が巖さんの衣類を把握できるわけがないと主張するが、事件当時は警察がいつでも寮に入れる状態であり、衣類の管理も杜撰だったことがわかっている。

(2)共布について

巖さんの実家で押収されたズボンの共布が、5点の衣類と巖さんを結びつける証拠とされたが、その共布が見つかった経緯が実に不可解である。

まず、警察は別の目的で実家の家宅捜索を行った。しかし、黒い布切れを発見すると、5点の衣類の鉄紺色ズボンと「同一色、同一生地」と瞬時に断定し、その後すぐに捜索を切り上げている。

警察に布を見せられた巖さんの母親・ともさんは、喪章だと思うと答えた。この発言は、専務一家の葬儀の際に、巖さんが実際に喪章をつけていたこと、香典返しの砂糖が一緒にあったことから、ごく自然である。

しかし検察は、ともさんが言い淀んだ部分の揚げ足を取るようにして、有罪立証に用いている。

(3)5点の衣類:麻袋などについて

確定審においても、巖さんがズボンを穿けなかった点から、ズボンが縮むかどうか、控訴審でみそ漬け実験を行っている。

この実験でみそ漬けにされた麻袋は、色は真っ黒で、生地の目も詰まっているが、5点の衣類の麻袋は、明るい茶色で、透かせば光が通る状態である。

また、ズボンが穿けないのはみそで縮んだせいとされたが、実際はズボンのわたり(脚の付け根部分の幅)が小さすぎることがわかっている。

(4)遺体の写真について

遺体の写真から、縄が巻き付いているような様子が確認できたり、歯が折れているなど酷い暴行の様子も窺えることから、改めて真犯人は怨恨目的複数犯であることを主張。

また、この遺体の写真は、再審請求審で新たに開示されたサイズの大きいものであり、それ以前の写真でははっきりと確認できなかったことから、警察は何かを隠蔽しようとしていたと考えられる。

(→この点について、閉廷後に静岡地検が記者会見を行い、縄とは判断できないと反論した。)

記者会見

記者会見の席にも、西嶋先生のお写真が飾られた。

始まる前に、小川先生、ひで子さん、西嶋先生のスリーショットをいただきに行く。実はスマホケースに秘密兵器を仕込んであった。

私のスマホを見て笑っている小川先生とひで子さんを激写

写真を撮らせていただくときに皆様が笑顔になるように、と西嶋先生のお写真*1を入れておいたのだ。お二人に笑っていただけて幸いだ。

仲良し~(^^)

記者会見で、まず小川先生が、「西嶋先生の思いを身に纏って、非常に良い主張ができた」と述べられた。

ひで子さんは、西嶋先生への深い感謝を述べられ、また、「巖の無罪判決を聞いてほしかった。もう半年生きていてほしかった」と口惜しさを漏らした。

そして、今回の公判の弁護団の姿を、「西嶋先生が見ているのかなと思うくらい」素晴らしかったと称賛し、「もう勝ったようなもん!」と明るい笑顔を見せた。

西嶋先生とは47年間の付き合いだった田中先生は、”西嶋学校の生徒として”記録の読み方や主張の仕方などを教わったという。

恩師の急逝に、苦しくて2、3日何も手につかなくなるほどだったというが、残された皆で力を合わせて頑張ることこそが恩返しになる、と力強く述べられた。

弁護団の体制としては、とりあえずは今まで通り集団指導体制でやっていくとのことだ。後の1月23日には、小川先生が主任弁護人となり、弁護団長は置かないという方針が決まった。

弁護団の皆様は大変お辛いとは思うが、会見では今までとほとんど変わりなく、冷静に的確な発言をされていた。むしろ、全員が西嶋先生の分まで気を引き締めているような、清々しい空気を感じた。

残された弁護団の先生方の力で、夏には必ずや無罪判決を勝ち取れるだろう。早く西嶋先生のいらっしゃるお空に向かって、「無罪」の文字を掲げたいものだ。

私も残り半年、また決意を新たに頑張っていこうと思う。

「時間がない」、だからこそ。

ボクシング協会の皆様が掲げる「時間がない」という言葉は、巖さんだけに限らず、いみじくも袴田事件を取り巻く現状をも表している。

今年で、事件発生から58年、巖さんの死刑判決確定から44年になる。30歳で逮捕された巖さんは今年で88歳、ひで子さんは91歳だ。その分だけの年月は、巖さん、ひで子さんらご家族だけでなく、弁護団や支援者、その他関係する人々全員にも流れているのだ。

そのあまりにも長い年月の重みは、私にはきっと理解することができない。

訃報を受けて、私は呆然としながら、ネット上の西嶋先生の画像を眺め続けていた。
その中には、私の記憶にはない若々しいお姿があり、再審開始決定の際の綺麗な涙があり、また弁護団の先生方やひで子さん、支援者の方々が、共に泣き笑って闘ってきた姿があった。

そんな写真を見ているうちに、自然と頬が緩んでいた。そして、私は皆様のことが本当に大好きなんだなあ......と気が付いた。

しかし、普段はあまり実感することはないのだが、今関わらせていただいている方の多くは、私よりも半世紀分くらい年上である。大好きな皆様がいつかいなくなってしまうと考えただけでも、苦しくて堪らなくなってしまう。

人の命とは儚いものだ。お別れのときは急にやってくる。私だっていつどうなるかわからない。

後悔しないように、やりたいことはやれるうちにやろう。会いたい人には会えるうちに会いに行こう。話したい人とは話せるうちに話そう。

今生きている一瞬一瞬を大切にしようとしみじみと感じ入る、今日この頃である。