清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

【傍聴記】第10回公判/証人尋問day1 《後編》:尻尾を出した法医学界の重鎮【袴田事件再審】

※この記事は後編です。前編はこちらです。
【傍聴記】第10回公判/証人尋問① 《前編》:裏切りの検察側証人【袴田事件再審】 - 清水っ娘、袴田事件を追う

さて、後半戦は、いよいよ法医学界の重鎮・神田教授への尋問。検察側が証拠とする、”7人の法医学者による共同鑑定書”をまとめた張本人である。

そんなオーラを身に纏い、慎重に落ち着いて話されるような方だったので、前編に比べて面白さには欠けます。すみません。

池田教授の尋問が予定時間をかなりオーバーしたようで、この日は弁護側からの反対尋問の途中までになった。

検察側証人②:神田芳郎先生(久留米大学医学部教授)

神田教授の登場。池田教授の暴走を受けてか、全身から殺気立ったような空気を放ちつつも、飄々とした姿勢で証言台に座る。すらっとした体型に彫りの深いシャープな顔付き、どことない威圧感がある。

主尋問(検察側)

検察官からの尋問。まずは共同鑑定書の作成に至った経緯などを確認するところからだが、初っ端から強気の姿勢を見せる。

:「高裁決定を一言で言うと驚きの内容でした
:「どのような意味でしょうか」
:「科学的にちゃんとやってない。一般的な学者なら納得しないです。専門家にアンケートでも取ってみればいいと思います」

高裁の決定については池田教授も同じようなことを言っていたが、そもそも、裁判所の決定文と、学者の論文を比べること自体がナンセンスだと私は思うのだが...。そこは畑違いというものでは?

:「共同鑑定書作成のいきさつは」
:「検察が何人かに相談して、集まってweb会議を行いました。全員が“おかしい”と思っているのは共通していますが、主としている部分や関心の度合いはそれぞれ違います」
:「高裁決定について、共同鑑定書では”科学的リテラシーがない”と書かれていましたが」
:「科学的リテラシーというのは、自分の目で見て判断するということです。高裁の裁判官にはありません

神田教授。

高裁の裁判官は自分の目で見てますよ。少なくとも、実験もせず、3回web会議を行っただけで、鑑定書とやらを出す方々には言われたくない。

:「赤みが残る可能性についてどうお考えですか」
:「そもそも、赤みというのは主観的、抽象的なもので、光によっても変わります。まず、“1年以上みそ漬けにして赤みが残るかを判断するのは困難”ということを出発点とするべきです。科学的には、“ない”ことは証明できない。一件でもあれば覆ります。当時の1号タンクの状況がわからない以上はもっと難しい。赤みが残るのも残らないのも、完全に証明するのは不可能です」

それは科学的にはその通りだろうと思いますが、ここでそう言われても、何にもならないので…。

:「赤みが残るケースもありますか」
:「赤というのがそもそも抽象的ですから、例えば赤茶を赤と言うか茶と言うかというような話になりますが、あるといえばあると思います」
:「つまり程度の問題ということですか」
:「そうです。メト化はしていても、ヘモグロビンが破壊されているとまでは言えないかと」

ゆっくりと丁寧に話している様子だが、ボロが出ないように一つ一つ慎重に言葉を選んでいるような緊迫感が張りつめている。検察側としては巻き返しを図らなければいけないので、失敗はできないのだろう。

:「血痕と血液の違いについてはどうですか」
:「違いにはあまり意味はないかと。重要なのは化学反応が起こるかどうかではなく、速度と程度です。ただ、血液のほうが化学反応は起こりやすいです」
:「味噌の中にも十分な酸素があるという弁護側の主張については」
:「酸素は絶対量ではなく濃度の問題です。酸素を0にすることは不可能ですから、全くないということはないですが、どれくらい濃度が低いかが問題になります。実際の数値があれば我々も検討できるんですけども」

出た、たられば。そして結局はわからないというところに逃げていく。

:「検察側の実験については」
:「前提として、実際の1号タンクの状態はわからない。だから、1年2ヶ月という期間を過大評価しすぎるのはよくない。酸素も大事だし、他のファクターもありうるので、期間だけで計ってはいけないと思います。そして、実験結果をそのまま1号タンクに当てはめるのもよくないと思います」
:「清水教授・奥田教授の実験については」
:「他の要因、阻害するようなファクターを考えていないのが問題だと思います。酸素濃度を考えた実験はされずじまいで、黒褐色化を進めるようなファクターばかりを抽出していると思います」

何となくふわふわとした当たり障りのない主張ばかりで、正直あまり面白みがない。面白みを求めるのが間違いかもしれないが、池田教授が面白かったせいで、どうしても飽きてきてしまう。

反対尋問(弁護側)

弁護側、間先生から。

:「血液が赤みを失うメカニズムより、その速度が重要だというお考えでよろしいでしょうか」
:「そうです。メカニズムに対しては異論はありません」
:「低pHと高い塩分濃度でヘモグロビンが変性することはどうですか」
:「異論はありません」

そして、溶血反応(=赤血球の破壊)と浸透圧(塩分濃度)の話に。(私はあまり理解できていない)

:「共同鑑定書で、溶血反応は高い浸透圧で起こりやすいというのはミスリードだとありますが」
:「浸透圧は低いほうが普通は溶血が起こりやすいです。高い浸透圧でも起こることは否定しないので、間違ってはないですが...。10%のNaClなら壊れないかと...20%なら壊れると思いますが...」
:「塩分濃度に比例するということでしょうか?」

ここに新顔の検事さんから、「何の話をされてるんですかっ?グラフ見てますかっ?」と横槍が入る。

間先生が「単純に、こちらは相関関係があるかどうかの確認がしたいだけなのですが」と訴えても、「ちゃんとグラフを示してくださいっ」と繰り返すので、仕方なくグラフを提示することに。焦っているのか、茶々が多い。

:「相関関係は否定しませんが、一般的には生理食塩水(=0.9%)よりも塩分濃度が低くなるほど、溶血反応は起こりやすくなります。濃度が高いところでは、時間が経てば赤血球膜に傷はつくと思いますが…、10%のNaClは微妙ですね」

次の話題は血痕についてだが、これがなかなか進まない。何となく空気が停滞してくるのを感じる。

:「血痕というのは、どのような状態のものを想定されていますか?」
:「えー...まあ、一般的な、血液が布について、乾燥したもの、ですかね...?」
:「5点の衣類の状態を想定してはいないですか?」
:「想定はしてないです。実際のものは明らかではないので」
:「“水分を失う”とは、どのくらいの程度を想定されていますか?」
:「えっと......すみません質問の意図がちょっと...」

その後もめげずに、神田先生の想定する「血痕」の程度を確認しようとする間先生だが、何度聞き方を変えても、「ちょっと意図がわからない...」「すみませんやっぱりわからない...」と永遠に噛み合わず、諦めることに。

そして、次の話題。
なにやら、共同鑑定書で引用している文献の違う箇所に、味噌の麹のタンパク質分解についての大切なことが書かれていたか何かとのことで、その文献を見せて確認することに。他の部分には付箋がたくさん貼ってあったりするが、当該の箇所は読んだ痕跡はない。

:「ここはどうして引用しなかったのですか?」
:「...すみません、ちょっと気が付きませんでした」
:「読んではいるんですか?」
:「読んでます!読みましたが、気が付かなかった、としか言えないです…すみません…」

急にしおらしくなってしきりに謝る神田教授に、間先生も苦笑い。

:「...本当に読んでるんですか?先生が書きました?」
少し冗談っぽい口調で尋ねたのだが...。

:「な、な、な、なんでそんなこと言うんですか...!?

絵に描いたようなリアクション!これはさすがに笑ってしまう。

あーあ、化けの皮が剝がれちゃった。「共同鑑定書を書いただけ」だと思っていたのに、書いてすらなかったのか。あららら。

この後はずっと味噌や醤油の話。共同鑑定書のあとで麹に関する文献を見つけて、考えも変わったということだったが、しどろもどろになって語気が強くなる場面も。よくわからなかったので割愛。

16:50 閉廷

弁護団記者会見

まず小川先生が、「僕、聞き間違いかと思ったんですけれども…」と、池田教授の「1年以上も味噌の中に浸かっていたら黒くなるのは当然」という発言について驚きを見せる。

生地の白さについて触れられた点からも、「内心は直前に漬けられたと思っておられるのではないか」と述べ、「反対尋問がいらないくらい、こちら側に有利な証言をしてくれた」と朗らかな笑みを見せる。

角替先生は、神田教授を「料理をしもしないくせに妻の料理にケチをつける夫」と的確に例え、会場を沸かせる。さすが角替先生、痺れる~。

後で「それは角替先生の旦那さんのことですか?」と質問され、「すみません、うちは逆です(笑)」とおっしゃっていたりもして、かわいい、好きです。

水野先生は、神田教授は「結局わかんないでしょ」で終わらせようとしているとしていると指摘。だから、本当のことは誰にもわからないのに、結論を出している清水・奥田鑑定を攻撃しているのだという。なるほど。

そんなこんなで、とりあえず1日目が終了。
想像とは違ったドタバタの証人尋問だったが、単純にすごく面白かったし、またこの再審公判で、初めて普通の裁判を見ることができたと感じた。

何度も議論されてきたことをただ蒸し返すばかりの公判に、検察側証人とはいえ外部の人間が入ってきたことで、この裁判の異様さが浮かび上がったような気がした。傍聴しすぎて麻痺しかけていた神経に、検察側証人から見てもこの裁判はおかしいのだということが、ぴりりと刺激を与えてくれたのだった。

さてさて、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。証人尋問の面白さがうまく伝わったでしょうか。どうでしょうか。(後編はたぶんそんなに面白くないけれど)

前編のほうで大活躍してくださった池田教授は、3日目の対質尋問(検察側・弁護側証人全員まとめて尋問する)の際も素晴らしい働きをしてくださります。近々そちらの傍聴記も上げますので乞うご期待。

コメントだったり、何か反応いただけますと大変励みになります。
Twitter(@m_nkgw2000)のフォローもよろしくお願いします!
ついでに下の「社会」ってところをぽちっとお願いします。

それではまた。

【傍聴記】第10回公判/証人尋問day1 《前編》:裏切りの検察側証人【袴田事件再審】

2024年3月25、26、27日の3日間、袴田事件再審第10回、11回、12回公判。全15回の公判も終わりに近づき、いよいよ最大の山場となる証人尋問の日がやってきた。

1日でも見られればいいな…くらいに思っていたのだが、なんと1日目も3日目も当選してしまった。これで6回目と7回目の傍聴になる。徐々に恨まれつつあるのをひしひしと感じながらも、今回も元気に傍聴して参りましたので、傍聴記を書かせていただきます。

証人尋問を終えて、これで完全に勝ったな、という確たる手応えを感じました。弁護側証人が淡々と述べる一方で、検察側証人が墓穴を掘りまくり、いったい何のための証人尋問なのかよくわからないほど。笑いどころ盛りだくさんで、シンプルに楽しませていただきました。

1日目と2日目。悪天候スタートにも負けない弁護団とひで子さん。(撮影:ジャーナリスト 青柳雄介)

恐縮ながら、この三日間毎日横断幕を持たせていただきました。反対側を持っているのは、なんと小学校を卒業したての12歳!東京住みの傍聴マニアで、将来の夢は裁判官とのこと。春休み期間で、青春18きっぷで毎日通っていた。話していて明らかに感じる知性に、一回り近く年上のお姉さんはちょっと凹みました。

繰り返すようだが、証人尋問は本当に面白くて、ぜひ皆さんに見ていただきたかった…。だからせめて、雰囲気だけでも味わっていただけるよう、メモと記憶を頼りに、なるべく法廷の様子を再現したつもりです。

やりとりは正確なものではありませんし、化学的な理解など、間違っている部分も多いかもしれませんがご容赦ください。何となくで読み流していただければ幸いです。

傍聴記

1日目は、検察側証人の法医学者、池田教授と、途中までとなってしまったが神田教授への尋問。

この池田教授が、とにかく大暴れしてくださった。ほとんど弁護側の主張を口にしては、法廷に衝撃が走る。

11:00 開廷

検察側・弁護側両方に各二人ずつの証人が座り、いつもと少し変わったピリピリした空気を感じる。検察側はいつもの3人に加えて、新しい男性検事さんが一人増えた。元々の3人はやる気がなさそうなのに対し、この方は火力強め。嫌味っぽい口調で弁護団に突っかかっていく。

検察側証人①:池田典昭先生(九州大学名誉教授)

まずは池田教授への尋問から。池田教授は、共同鑑定書を作成した7人の法医学者のメンバーでもなく、意見書を出しただけにすぎないというのだから驚きだ。しかし険しい顔で証言台へと進む。

主尋問(検察側)

検察官から、まずは経歴等の確認がされる。

:「法医学に携わってきた経験、ヘモグロビンの知見について教えてください」
:「50年ほど法医学に携わってきてですね、法医学というのは、昔は血液学を主にやるもんですから、もちろんヘモグロビンについての知識はあります。特に、私は昔はピンク歯の研究をしてましてね、それでまあ赤ということで、それはヘモグロビンなのではないかということで実験をやってみまして...」

いきなり超早口のマシンガントークが始まり、あまりの勢いに圧倒される。焦っているのか何なのか、とにかく喋る喋る。

:「高裁の再審開始決定についてどう思いましたか」
:「血痕を放置すれば黒くなる、これはもちろん常識です。ただ、化学的に見ると、赤みが残る“可能性はない”という決定は、いかがなものかなあ、と思いました。なぜかというと、もし1年2ヶ月みそ漬けにされていたのなら、赤みが残る可能性はない、絶対にないと思います。ただ、麻袋に入っていたのなら、中の衣類までは断定できない、そこに違和感がありました

衝撃発言をする池田教授。

どんな屁理屈を並べるつもりなのかと期待していたのに、あまりにも反論がふわふわしすぎている。「黒くなるのが常識」発言には、私はまあそう言うのだろうくらいに受け止めていたのだが、弁護団の記者会見で小川先生が「聞き間違いかと思った」と述べられるほどの衝撃発言だったようだ。

:「”赤みは残らない”という(弁護側)清水教授の鑑定についてどう思いましたか」
:「法医学者なら全員が同意すると思います。普通は赤みは残らない、それは常識中の常識です。ただ、他の阻害因子とかについて書かれてない、そのあたりも書いていれば、もっと良いものになったんじゃないかと思いますね」
:「どうすれば血痕の赤みについて証明できるでしょうか」
:「私なら、まずはみそ漬け実験をしますね。問題はそれからです。事件当時の本当の状況はわからないから、実験の結果黒くなったからといって何か言えるというわけではないですが、まあ、まずはやってみたいと思います!」
:「実験をする際に着目すべき点は」
:「本来なら赤みが残るはずはない!でもそれが残ったというのなら、その原因を見つけなければいけないと思います」

「私なら!」ばかり繰り返されても...。威勢よくおっしゃっていますけど、口だけなら何とでも言えますからね。いったい何のために呼ばれているのか。

:「清水鑑定では血痕を使っていないという点は」
:「清水先生は日本でも最も優秀な法医学者のうちの一人ですので。弁護側から血液が黒くなる原因を究明しろと言われているから仕方ないかと。ただ、やはり阻害因子についてはもっと考察すべきだったと思います」
:「(弁護側証人)石森教授のヘモグロビンの酸化という鑑定については」
:「私も!法医学的に特段問題があるとは思えません!ただ、みそ漬けという特殊な環境下において、そのまま使えるかどうかは疑問に思います。本来黒くなるものが赤く残ったというのなら、その阻害要因を考察するべきです

攻撃は「阻害要因」の一本槍で、弁護側証人の主張を決して否定はしない。否定できない、が正しいのだろう。検察への迎合と、法医学者としての矜持の間で、ひどく葛藤しているのが見て取れる。たぶん、そんなに悪い人ではないんだろうな。苦しそうで同情してしまう。

:「麻袋の影響は」
:「麻袋内の中心部には酸素や水分が到達しなかったから、赤みが残ったのではないかと私は考えまして。衣類は味噌に漬かっていたようには見えない“みそ漬け”ではなく“1年以上味噌の中に放置されていた”が正しいのではないかと思います」
:「衣類がみそ漬けされていたかどうかに疑問があるということですか」
池:「衣類は生地が白く残っていて、発見時にはたまりがポタポタ垂れていたと聞いたので、おかしいなと思いました

え!?それ言って大丈夫なの…!?

ぱっと検察官の方々に目をやると、案の定、一気に凍りついた様子。これにも弁護団にも衝撃が走っている様子で、小川先生なんかは楽しそうにけたけた笑っている。

そんな法廷の空気には気付かないまま、とにかく早口で喋り続ける。
:「実は私の父は清水出身でして。お盆は清水の父の実家に帰っていましたが、清水なので白味噌を作っていました。ただ母は刈谷の出身なので赤味噌で、仲の良い両親でしたが、そこだけは相容れない部分でしたね。正月は刈谷のほうに帰るのですが、刺身を食べるときなんかに、たまりを取ってきてとよく言われましてね、上にあるたまりをすくったものです。だから、ポタポタしていたというのは、水分に浸かっていたということではなくて、取り出すときに、上にあったたまりがついただけという可能性もあるのかな、なんて考えまして」

呑気に味噌の思い出を語っている証人の横で、検察官が呆然とした様子で立ち尽くしている。証人選び間違えた...!と頭の中で悲鳴を上げていそうだ。

:「”1年以上みそ漬け”という前提が違うということですか」
:「そうです!そもそも前提がわからなさすぎる。幅が広すぎて、わかるわけないじゃないですか!血痕が赤いからどうとかは、法医学的には言えません」
:弁護側がねつ造と主張していることについては
池:「えー...。清水鑑定については、ほとんどすべての法医学者が正しいと言うと思います。ただ、“赤みが残らないからねつ造”というのはおかしい。そんなに軽々しくは言えないと思います

ねつ造の可能性に関しても、否定するというよりは、もっと吟味すべきだというふんわりとした主張。いったい検察側は何のために呼んだのかさっぱりわからない。法医学者として弁護側につきたい気持ちと、検察側証人としての使命の狭間でもがいているようだ。

大いに法廷をかき乱していただいたところで、弁護側にバトンタッチ。

反対尋問(弁護側)

弁護側は、まずは間先生から。
すらっとした姿勢に精悍な顔立ち、優しいハスキーボイス、法廷に立つ間先生って、何か言葉では言い表せないオーラがありますよね~。

:「普通に考えれば、1年2ヶ月味噌の中にあった血痕に赤みは残らない、という認識ということででよろしいでしょうか」
:「まあ、ぬか漬け状態ならそうですね」

法廷内のおそらく全員の頭に、(ぬか漬け...???)が浮かぶ。裁判長も困惑した様子で、すかさず質問する。

裁判長:「すみません、ぬか漬けってどういう意味ですか...?」
:「まあ麻袋に入ってない状態、ぬか漬けのなすやきゅうりみたいな...」
:「えっと...なすやきゅうりっていうのは...」
:「えー、まあ、剥き出しの状態で、完全に味噌に漬かっているような...」

急なぬか漬け発言のせいで、初っ端から迷走する反対尋問。厳粛な法廷で、大真面目にこんなやりとりがされると、じわじわと笑いがこみ上げてしまうのです。

気を取り直して次の話題へ。

:「5点の衣類の、生地の白さについてどう思われましたか?」
:「最初に見たときは違和感がありましたが、特に何も言われなかったので、別に争点じゃないのかなと思いました」
:「白すぎる、と思いましたか?」
:「いや!そうじゃなくてね!?」

ほとんど自分で言っちゃってるのに、核心を突かれると食い気味で否定する。主尋問とは打って変わって、弁護側に対してはやたらと攻撃的。ギリギリのところで何とか回避しようとして、発言がグネグネと揺らぐ。

:「先生のお考えですと、発見直前に入れたと考えるのが自然なのではないですか…?
:「いや!......えー、あー、あのー、......別に、直前だとも思わないし、1年2ヶ月だとも思わない、何とも言えないです」

直球の質問に明らかに言葉が詰まる。間先生もさすがに苦笑い。

:「清水・奥田鑑定における、血液が黒くなる化学的機序には異論はありますか?」
:「いや!......うーん、あのー、......血痕中の血液に関しては、正しいと思います。ただ、血痕に対しては言えないと思います」

とりあえず何か噛みつこうと、「いや!」と否定から入るのに、その後がどうしてもしどろもどろで上手く続かない様子。

昼休みを挟み、午後も間先生による尋問が続く。
根気強く冷静に質問攻めにしていく間先生に、池田教授は言葉を詰まらせ、結局は実際のみそタンクの状況がわからない以上は何とも言えないというところに逃げていく。

:「実際の5点の衣類について、検察からどのような説明を受けましたか?」
:「まあ、麻袋に雑把に入れて、犯行(※1966年6月30日)からみそが仕込まれる(※7月20日)までの20日くらい?の間に味噌に入れたとしか聞いてません。そう理解してます」
:「味噌についての知見はどれくらいありますか?」
:「調書は読みましたし、家で作ってもいましたから、ある程度の知識はあるかと」
:「血痕の酸化が進まなくなる酸素濃度はどれくらいでしょうか」
:「いや厳密にはわかりません!えー、ただ、まあ、私は窒息を専門にやっていましたから......、酸素の供給がなければ、そのうち酸化は止まる、それは確かですが...」
:「それまでにかかる期間はどれくらいでしょうか」
:「…いやあ、なんですかね、うーん......」

少し沈黙したあと、急に声を荒げる。
いや、私は赤みがなぜ残るかの検討をしたほうがいい、と言っているだけであって、検討したとは言っておりませんので!

あまりにも清々しい、見事な開き直りだ。びっくりする。

:「私も50年ほど法医学に携わっていますから、物証に赤みが残るか残らないかで対立しているなら、そのどちらも究明しなければいけない、そうしなきゃ証拠としては何も言えないですよ!
:「弁護側・検察側双方が鑑定をするということですか」
:「いやですから私が頼まれればできるだけ実験をしたと申していまして、まあ私にできるかどうかはわかりませんけども、口で言っているだけと言われるかもしれませんが、私ももし清水先生や奥田先生のように現役ならやったのになと」

この日一番の早口長台詞!滝のように言い訳が溢れる。

:「検察が行った実験についてはどう思われますか」
:「中途半端な実験だと思います。やるなら法医学者を呼べばいいのに。私ならちゃんとやったのに、と思います」
:「中途半端というのは?」
:「環境が違う。麻袋に入れられてないし、味噌、衣類、血痕の大きさも比例していない。法廷の証拠にはならないものだと思います」

基本的には、ずっとたらればばかり言っている。でも池田教授なら、少なくとも検察に言われた通りの嘘の鑑定書は書かない気がする。たぶん正直者だし、法医学者としての誇りを持っている方だ。私はもう池田先生が好きになってきていた。

:「“赤みが残らないからねつ造”ということが納得できないということですね」
:「いや……ちが......、だからね、赤みが残っているものが実際にあるというなら、その要因をもっと究明しなければ何も言えないのではないかと、それを言ってるんですよ」

池田教授は、「味噌の中に1年2ヶ月入れても血痕の赤みが残っている衣類が実際に存在する」ことを前提にしているせいで、弁護側とは話が平行線になってしまう。まさか検察側証人がねつ造だとは言えないだろうが、明らかに言い分が矛盾していることは気付いているだろう。

ここから、弁護側は笹森先生に交代。笹森先生、ものすごく悪い笑顔をしていて素敵です。主尋問のときからずっとニヤニヤされていたこと、私は見逃していませんよ。

まずは単刀直入に。
:「単純に、1年2ヶ月もの間味噌に入っていたら、血痕は黒くなると思いませんか」
:「まあ、普通に考えればそうなりますね。仮に7月20日に入れられたのならその時点ですでに黒くなっているはずですから、赤みが残ったというなら、血液が赤い頃、犯行直後に入れられたのだと思います」

ここから笹森先生が、おそらく、一度黒くなった血痕が、味噌から取り出したあとに赤くなることはあるか、という趣旨の質問をしていたのだが、なかなか会話が噛み合わず。だんだん苛立ってきた池田教授が、笹森先生に対して、「だから!あなた頭悪いですね!」と…!

ちょっとちょっと、うちの笹森先生に何言ってくれてるんだ!!抗議したくなったが、当の笹森先生はむしろ楽しそうにニヤニヤしている。

「弁護側は、14回のみそ漬け実験で血痕は黒くなったとしていますが、これは根拠にはなりませんか」
:「清水先生の実験以外は話にならないですね。まあ自分でやってないので何とも言えないんですけど、意味のない実験だと思います」
いやいやいや、皆様がどんな思いで実験を繰り返してきたか...。さすがにこれは許しません。

:「検察のみそ漬け実験は評価していいものですか」
:「いや、あの、その、もっといろいろ条件を変えて、赤みが残る原因を究明しないと...」

もう、見苦しいよ。

びっくりするような発言も多いが、たぶん悪い人ではないというのがよくわかる。もし弁護側の証人だったら、きっと良い働きをしてくださったんじゃないかなあ。

補充尋問(裁判所)

裁判官から、改めて主張を確認するためにいくつか質問。

:「5点の衣類に、一般論をただちにあてはめるべきではないということですか」
:「その通りです。一般的には誰がやっても同じことを言うと思います
:「赤みが残る可能性はない、という意見についてはどう思われますか」
:「結論自体は良いと思いますが、検証が足りてない。もっといろいろやるべきだと思います」

一般的に誰でもそう言うなら、もうここでは十分なんですよ…。

14時半頃、池田教授の尋問が終了。池田教授が盛大に暴れてくださったおかげで、すでに検察側に敗北ムードが漂う。検察側にとっては、証人尋問を行ったことは失敗だっただろう。池田教授が、法医学者としてまあ信頼できるということは伝わってきました。

次に、もう一人の検察側証人である、法医学界の重鎮で共同鑑定書メンバーの長、神田教授への尋問へ。

長くなったので、続きは後編で。ありがとうございました。

【傍聴記】第8回公判(24/2/14):きっと、いや絶対勝つ!【袴田事件再審】

2024年2月14日(水)、袴田事件再審第8回公判。

今回と翌日の第9回公判が、証人尋問前の最後の公判であり、大きな山場となる。

それはさておき、この日、2月14日はバレンタイン!

支援者や弁護団の大好きな皆様へ、普段の感謝と勝利への願いを込めて、キットカットを配るために一日中走り回っていた。「”きっと”勝つ」では弱い気もするけど、まあそこは許してください。

バレンタイン限定のくまちゃんの形のキットカットなのです~。

当日お渡しできなかった方にも、この場を借りて心から感謝申し上げます。いつもありがとうございます。

今回も当選して、5回目の傍聴になった。今回驚いたのは、見渡す限りほとんどが顔見知りの支援者の方々だったこと。

普段なら、一般傍聴席も記者なのか何かよくわからない方々ばかりで、支援者はせいぜい5人くらいしかいない。いつもとは打って変わって、支援者集会かと錯覚するような、アットホームな法廷だった。

巖さんの無罪のために長年闘い続けてきた支援者の方々が、やっと開始された再審公判を、一度も傍聴できないまま終わるのはあんまりだ。私のような野次馬が何度も傍聴しているのが申し訳なく、できることなら傍聴券をお譲りしたい、と若干肩身の狭い思いをしている。

今回は、長年精力的に支援活動を行われてきた支援者の山崎さんが見事当選された。傍聴席から法廷を見つめているお姿に、勝手ながら、なんだかぐっと込み上げてくるものがあった。

公判前のひで子さん、山崎さん、ボクシング協会の松岡さんと真部さん。松岡さんも当選された。

今日の午前中は、弁護側の田中先生と角替先生から見事な主張!午後は検察側から、見事な荒唐無稽なたわごとが繰り広げられた。ただ、小川先生が逐一飛ばされる異議がとても痛快で、見応え抜群だった。

第8回公判傍聴記

11:00 定刻通り開廷

▷弁護側

今回は、袴田さんの自白調書をもとにねつ造された、
(1)侵入経路
(2)脱出/再侵入経路(=裏木戸)
(3)盗まれたお金の行方
の3点について。

事件直後から、警察は都合の悪い証拠を隠蔽したり、ねつ造証拠を作ったりを繰り返し、そしてそれが徐々にエスカレートしていったのだと主張。

田中先生の美しい冒頭陳述と、角替先生の鋭い要旨の告知で、小気味よく進んでいく。

(1)侵入経路

袴田さんの罪名は、強盗殺人、放火、そして住居侵入である。

脱出経路とされる裏木戸の問題はよく取り沙汰されるが、どうやって侵入したのかという点は、そういえばすっかり忘れていた。

当時の事件現場の写真などを見る限り、線路沿いには木が生い茂り、両隣の家とは密接していて、侵入するにはどうにも難しそうに思える。

検察側の主張によれば、袴田さんは、線路から防護柵を乗り越え、被害者宅の隣の家の庭に侵入し、木に登って被害者宅の屋根に移り、水道管をつたって中庭に降りている。

これだけでもすでに大変そうなのだが、この防護柵の高さは1.55mもあり、有刺鉄線が張られていた。

また水道管は直径2.7㎝で、大人が力をかければすぐに壊れそうな脆いものである。

侵入経路イメージ図。実際の図とは異なりますが、難易度だけ実感してください。

犯行時刻は深夜なので、もちろん現場は真っ暗。そしてこのときの服装は、5点の衣類の上に雨合羽、足元はゴム草履である。

とんでもない超人的な芸当だが、袴田さんは実に簡単にこれをこなしたことになっている。

(2)裏木戸

脱出→(混合油を持って)再侵入→再脱出の経路とされた裏木戸は、火災発生時には鍵がかかっていたことが確認されている。戸や接している部分の焼け方から見ても、火災中に裏木戸が閉まっていたということは明らかである。

にもかかわらず、警察の報告書では、通り抜けることが可能だったとされている。もちろんそんなことは不可能であり、警察が撮影した写真は上の留め金が写らないようにトリミングされたもので、どう見ても怪しさしかない。

(3)盗んだお金

袴田さんは、盗んだお金を元同僚の女性に預け、その後、番号の部分が焼かれた状態のお札が入った清水警察署宛の封書が、清水郵便局で見つかったとされている。

このあたりの時系列をざっと確認。

9月6日 「元同僚の女性にお金を預けた」と袴田さんが自白。
9月9日 警察が、盗まれた金袋を使っていたみそ会社の販売員に、中に入っていたお金の金種を確認する。
9月13日 郵便局でお札の入った封書が発見される。金種は販売員の証言と見事に一致。番号部分はすべて綺麗に焼かれ、「イワオ」と書かれたお札も発見された。
9月14日 元同僚の女性を逮捕

「何という都合の良い偶然の展開でしょうか」田中先生が、低く響く声で訴えかけた。

また7月に、吉原のバス車内で、現金8万3920円と、こがね味噌の葉書などが入った黒革財布が見つかっている。盗まれたとされる金額は8万2325円。偶然の一致にしてはできすぎているような。

「以上のようなねつ造の集大成が、5点の衣類のねつ造なのです。」

田中先生がゆっくりと語りかけるように高らかに述べ、冒頭陳述を締め括った。

 

▷13:15~ 検察側

お昼の休憩を挟み、午後からは検察側の主張に入る。

弁護側が主張する
(1)「袴田さんの自白が無罪を証明する」ということ
(2)捜査機関による被害金のねつ造
(3)外部の複数犯による犯行
の3点への反論が行われた。

≪冒頭陳述≫

(1)「袴田さんの自白が無罪を証明する」ということについて

「自白が無罪を証明している」と結論付けている、心理学者・浜田寿美男教授の鑑定は誤りである、と主張。

実体験に基づかなければできない供述もあり、浜田鑑定は「取捨選択が恣意的」と批判する。また、心理学とは無関係な個人的な経験則にすぎず、通常の刑事裁判で行われる事実認定と変わらない、と全面的に否定した。

取調べの録音テープは、誰が聞いても明らかに拷問のような違法なものだ。だから、自白の部分でこんなに堂々と噛みついてくるのか、とびっくり。

袴田さんの供述は、捜査官の想定に迎合するものではなく、むしろ想定と異なることを積極的に供述していると主張する。

まず、犯行動機については、最初は専務夫人と肉体関係があったというものだったが、後から強盗目的へと変遷していく。これは動機の悪質性を隠すためで、このように犯人が供述に虚実を交ぜるのは「決して珍しいことではない」

と言い終わらないうちに、弁護団の小川先生がさっと立ち上がり、異議を唱えた。

「証拠がないじゃないですか!」小川先生が強く指摘するも、検察官は「まあ、あくまで経験則に基づく我々の評価なので......」と弱々しく弁明。小川先生が、「いや、経験則なんて、根拠何にもないじゃないですか!」と机を叩いて吠える。しかし検察官は薄く苦笑いを浮かべ、裁判長は呆気なく異議を棄却した。

ほかにも、侵入経路や逃走経路、犯行着衣やくり小刀の購入店など、捜査官の想定とは異なる供述が多くあるのに、浜田鑑定はそこを評価しておらず、選択部分が恣意的だと非難する。

捜査官の想定(というより「筋書き」)と違う供述が多いのは、それこそが、浜田教授の指摘する「無知の暴露」にほかならないのではないか。

自白の中で5点の衣類の話が一切ないことについては、〈すべてを話す覚悟はなかった〉〈否認に転ずる余地を残したかった〉〈証拠隠滅をする卑怯者と思われたくなかった〉など「様々な可能性」があるとして、「犯人がすべてを自白するとは限らない」と主張。

ここにまた、小川先生から「証拠がない」と鋭い異議が飛ばされる。こんなふわっとした主張で、よく浜田鑑定に噛みつけるなあ、とその勇気には感心する。

自白に落ちた9月6日の取調べについて、袴田さんは頭痛とめまいがして眠っていたところ、午前11時すぎに起こされ、よくわからないまま書面に名前を書かされたと公判で供述した。

しかし検察は、自白に落ちた場面こそ録音されていないものの、午前11時頃からは録音されていて、公判供述は虚偽であると主張。

その瞬間に「異議があります」と小川先生が立ち上がり、録音がいつのものかはわからないので根拠がない、と凄みを効かせる。しかし、異議はまたすぐに棄却される。

検察は、「この日の取調べはほとんどすべて録音されている」と述べ、そこでまた小川先生がさっと立ち上がり、根拠がないと指摘。

「検察側が開示した録音テープなんだから、取捨選択を恣意的にしてるのはそちらでしょう?」検察官を指さし、憤りを露わにする。

鋭い異議を飛ばす小川先生。いつもに増してかっこいいです。

この日は約14時間40分の取調べがあったが、そのうち開示されているのは10時間ほど。百歩譲れば“ほとんどすべて”と言えなくもないのかもしれないが、自白に転じた当日の空白の数時間はあまりにも重要だ。

そもそも録音テープは430時間ほどのうち47時間ほどしか開示されていないのに、これでよく他人に対して恣意的だと言えたものだ。

(2)被害金のねつ造について

弁護側の、警察が封書等をねつ造したという主張は「根拠がきわめて薄弱」で、「ねつ造することは考えられない」と、またふわっとした反論。

この公判だけで「根拠がきわめて薄弱」というフレーズをいったい何回聞いただろうか。やけにそれだけが耳にこびりついてくる。

まず、袴田さんが被害金を預けたとされる元同僚の女性について、袴田さんと親しくしていたことや、逮捕後に友人に対して「話せば犯人にされる」「仕返しされる」と話していたことから、事件と関係があるとしたことを主張。

袴田さんが逮捕された4日後の8月22日に、この女性宅は家宅捜索されている。そして袴田さんがお金を預けたと自白した翌日の9月7日から12日にかけて、女性やその家族まで取調べがされている。そして13日に封書が発見、14日に女性を逮捕した。

共犯者として執拗に追われ続けていたが、女性は最後まで否認し続けた。

また、7月19日に吉原のバス車内で発見された黒革財布については、金額が似ているだけにすぎず、被害金であるかどうかはまったくわからないとした。

また、被害金のねつ造について、弁護人の主張はまた「根拠がきわめて薄弱」であるとして、全面的に否定する。

お札の番号が焼かれていた原因は、「様々な可能性がある」と主張。ただの一般人が、わざわざ番号を焼こうという発想に至るものなのだろうか。少なくとも、私はあの番号が何のためにあるのかもよく知らなかった。

番号を照合すれば、それがいつどこで発行されたお札なのかがわかる。それを消す=お札の出所をわからなくする、そのほかに理由があるのだろうか。「様々な可能性」とは...。

そして、5点の衣類のとき(第3回公判)とだいたい同じような論法で、警察による被害金のねつ造は困難だと主張していく。

一つは、お金を預けたとされる女性が封書を投函したという立証が難しいということ。

また、8月22日に女性宅を捜索しているが、そのときに筆跡がわかるものを押収したり、密かに入手したりしたことはなく、筆跡を真似できるはずがない、と主張。

手に入れることはできただろうし、こっそり入手したのなら、それは当然記録には残さないだろう…?

そして、袴田さんを逮捕した直後の時点で、すでにこのような被害金のねつ造まで計画していたということは、「理解が困難である」と述べる。
あの、理解が困難なのはこちらの台詞ですが。

また、この封書は9月13日に清水郵便局で発見され、職員が開封してから清水警察署に届けたとされる。郵政監察官が職員に聴取を行ったが、封書を集配した者などは特定できなかった、と捜査報告書にはある。

当時は袴田さんの逮捕、起訴から間もなく、被害金が郵便局で見つかったとなれば、それは大ニュースだろう。

しかし当時の郵便局職員は、約45年後に、当時そのような話を聞いたこともなければ、郵政監察官から調査を受けたこともない、と述べている。

検察は、「45年前のことを覚えているとは限らない」と主張する。しかし近所であれほど凄惨な事件が起こり、職員としてそれに関わったとなれば、忘れたくても忘れられないのではないだろうか。

つまり、本当にこれが郵便局で見つかったものなのか、それすらも謎に包まれているのである。

(3)外部の複数犯説について

弁護側の外部の複数犯説は「根拠がきわめて薄弱」で、袴田さんが一人で犯行を行ったことに「何ら矛盾はない」と断言。本気で言っているのか...!?

弁護側は、前回の公判で、被害者の方々のご遺体の写真から、縄で縛られた痕や、歯や骨が折れているなどの激しい暴行の痕を主張した。

しかし、ご遺体の写真には色合いがまだらな部分もあり、弁護側はそれを縄に見えると言っているだけだと反論する。

また、長男の左手には防禦創があること、弁護側が主張する各被害者の傷は死後にできたと考えられることなどを主張し、弁護人の主張は「事実無根と言っても過言ではない」と吐き捨てた。

また、その他外部の複数犯説の根拠に対しても反論。

まず、傷の場所が集中しているという点については、矢継ぎ早に刃物が繰り出されたもので、むしろ、被害者が動ける状態だった証拠だと考えられるという。

「矢継ぎ早に」って、凶器はあの小さなくり小刀だということを忘れてない...?

誰も悲鳴を聞いていないということも、深夜で突然のことで狼狽し、近隣住民を起こすほどの大声は出せなかった可能性があると述べる。

犯行動機に関しては、弁護側は、被害者宅には多くの金品が残されていたことなどを理由に、強盗ではなく怨恨目的だと主張しているが、検察側は、実際に金袋などが盗まれている以上、金品を手に入れようとしていたことは「動かしがたい事実」であると述べる。

また、裏木戸付近に警察がわざわざ金袋二つを置くのは不可解であるうえに、録音テープから、"盗まれた金袋は三つ"だと、取調べ官が確信している様子がわかるので、落ちていた金袋2つはねつ造ではない、と。

ここで小川先生が、「意味がわからないんですけど......」と立ち上がる。「警察が自分でねつ造だなんて言うはずがないんだから、当たり前じゃないですか......?」と首をかしげる。そりゃそうだ。

取調べ官は、容疑者から自白を取るために、自分自身に暗示をかけて、この人が犯人だという確信を持って臨む、という話を聞いたことがある。
なんて末恐ろしい世界だ。いつ何があるかわかったもんじゃない。

そして、「犯人は怨恨目的の外部の複数犯である」という弁護側の主張は、「根拠がきわめて薄弱」と再度述べる。そして、一家4人を刺した後にすぐに混合油を準備できた人物として、犯人はみそ工場関係者であると主張した。

最後に、「袴田さんが犯人であるということには、何ら揺らぐことがない」、と淡々と主張。

この人たち、本心でそう思っているのか。ひで子さんを目の前にして、心が痛まないのか。私は聞いているだけでも胸がぎゅうと苦しくなる。

≪要旨の告知≫

14:15~14:45の休廷後、検察側の要旨の告知に入ったのだが、これが何とも面白かった。

まず、浜田鑑定は内容の取捨選択が恣意的であるということについて。

実際に取調べの録音テープを使って説明するとのことで、え?と耳を疑った。
あの酷い音声を、まさか検察側が自ら使うとは......!

袴田さんが、自白後に取調べ官に迎合することなく、捜査員の想定と違う内容を積極的に話していたということを主張。

録音テープは聞き取りにくいので先に朗読する、と真ん中の男性検事が言うと、隣の女性の検事がすっと立ち上がり、男性検事が取調べ官役、女性検事が袴田さん役で、何やら寸劇が始まった。

取調べ官役の男性検事が、非常に優しい穏やかな口調で、「どうやったのか?」「それは本当か?」のように問いかけ、それに対して、袴田さん役の女性検事は、「はい」「いや」「違います」などとぶっきらぼうに答える。

そして朗読が終わり、「それでは、実際のテープを再生いたします」と堂々と録音を流し始めるのだが......取調べ官が「うん??」「ああ??」と激しく威圧する声が飛び交い、袴田さんの声はほとんど聞こえない。朗読とは全くもって違う。

これは、なんなんだ?いったい何がしたいのか......?やればやるほど墓穴を掘っているけど、大丈夫......?
これが30分ほど続けられて、私はなんだかツボに入ってしまって、ずっと口を押さえて笑っていた。

取調べがそれほど酷いものではなかったと思わせるための朗読なのかもしれないが、先に優しい口調で朗読をしてから実際のテープを流すせいで、余計に酷さが際立つ結果になっている。これではもはや無罪立証だ。

(15:30~15:45の間、休廷を挟み、再開)

角替先生が、自白した9月6日の録音は根拠がない、と再度指摘される。
田中先生も、開示されているのは約14時間40分のうちの約10時間で、「ほとんどすべて」というのは間違いだと指摘。「どうぞ一度お調べになられてからおっしゃってください~?」と皮肉たっぷりに言う。クゥ~、痺れる。

ほかの部分の要旨の告知については、内容が薄く、調書を読み上げるばかりだったので省略。最後に細々としたことを補足して、16:50頃閉廷。最後のほうはとても長く感じて、どっと疲れが押し寄せてきた。

 

 弁護団記者会見

小川先生が、今日の公判について「田中先生と角替先生が、わかっているつもりだったことを簡潔で的確にまとめてくれた」と振り返り、「私はあんまりよかったとは言わないんですけれども、今日は本当によかった」と、やわらかい笑みをこぼしていた。

「ねつ造がエスカレートした」という今回の主張の意図については、担当された田中先生と角替先生からお話しされた。

角替先生は、5点の衣類の発見までに、事件発生直後から大小さまざまな隠蔽やねつ造があり、この事件は、決して「5点の衣類が急に現れたというわけではない」ということを強く主張された。

田中先生も、捜査経過を時系列順に追って行けば、「人を犯人にするためには何でもやるんだ」とよくわかると述べられた。

また、今回の公判で主に小川先生から何度か異議があったように、検察側の冒頭陳述は証拠に基づいていない、と先生方は口を揃えて批判する。

検察側の要旨の告知は全体的に薄っぺらい印象で、写真などもほとんどなく、主に警察・検察自らが作った調書などを使っている。「あんなのうそっぱちに決まってるじゃないですか!」と角替先生が声を荒げる。

記者の方から、浜田鑑定は他の再審請求でも使われているため、他の事件への影響を避けたいという意図があったのでは?という鋭い質問があり、先生方も苦笑い。

田中先生は、浜田鑑定が認められて困るのは検察だけではなく裁判所も同じなので、検察はあれほど長々と主張したのではないか…と推測する。角替先生は、あの取調べがひどくなかったとは到底言えないから、比較的攻撃しやすい浜田鑑定を攻めたのではないか、とも推測した。なるほどなあ......。

翌日の第9回公判では、検察側から血痕の赤みについての反論などがある。笹森先生は、「このままいけば検察は負けることになってるんですけども」とさらりと述べ、明日は検察側が負けないための立証を行う最大の山場になるとして、「ぜひじっくり聞いてほしいですね」と皮肉っぽくニヤッと笑っていた。

 

残された公判期日もあとわずか。結審、そして判決の日は迫っている。

私は新参者だが、今まで5回も傍聴させていただいているおかげで、弁護団の先生方の勇姿は有り余るほどに目に焼き付いている。

鋭さとやさしさを兼ね備え、個性豊かで魅力的な先生方一人一人のことが、私はもうすっかり大好きである。また私の大切な友達である巖さんも、いつも強く美しく、憧れの女性であるひで子さんのことも、いつもお世話になっている支援者の方々のことも、同じく大好きだ。

心から敬愛する皆様とともに、幸せに包まれて笑い泣く日が、一日も早く訪れるのを心待ちにしている。

そんなことを改めて実感する、最高のハッピーバレンタインデーになりました。

バレンタインなんてただのチョコレート業界の策略だ、なども言われますが、こちらとしても、バレンタインをうまく利用して、人に感謝や好意を伝えることができる。ウィンウィンの関係じゃないですか。それでいいじゃないかと思います。そしてホワイトデーに海老で鯛を釣れたら......おっと間違えた。

長くなりました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

よかったら、スター、コメントなどいただけると、大変励みになります!
Twitter(@m_nkgw2000)のフォローもよろしくお願いします!(^.^)

【傍聴記】第7回公判:死刑にする覚悟があるか【袴田事件再審】

2024年1月17日水曜日。前日に引き続き、袴田事件再審第7回公判
今回も、西嶋先生の笑顔のような快晴。

この日は「東住吉事件」で無期懲役が確定したが、後に再審無罪となった青木惠子さんがいらっしゃっていた。公判前にひで子さんも駿府公園のほうにいらっしゃって、抱き合う姿が印象的だった。

午前10時ごろ。青木恵子さん、ひで子さん、小川先生

今回、私はまたもや当選!もう4回目である。
傍聴券をもらいに行ったところ、地裁の職員さんにも顔を覚えられているようだ(笑)

今回の公判は、弁護側から以下の3点についての主張。

(1)遺体の写真(縄の痕、暴行を受けた様子など)の提示(小川先生)
(2)自白について(田中先生、白山先生)
(3)5点の衣類の血痕の赤みについて(間先生)

皆様非常に素晴らしい弁論だった。西嶋先生が亡くなられてから、やはり弁護団の空気が少し変わったような、より一層張り切っている様子を肌で感じた。

今回、取調べの録音テープについては、検察が一番触れられたくない部分だろう。
だから、検察官3人がどのような表情をするか、じっくりと観察させてもらったのだが......なんだか他人事かのような、真面目に聞く気がないような、そんな感じに見えた。いったい、どのような気持ちで法廷に座っているのだろうか。

静岡地裁前の支援者たちの様子

ひで子さんと弁護団を送り出してから、私も裁判所内へ。

今回の所持品検査では、初めて、持っていたノートをぱらぱらめくって中身を見せるようにと言われた。

直感的に、遺影かな?と思って焦った。私は西嶋先生のいない法廷が心細いので、お写真をノートに貼りつけていたのだ。*1

私のノート。西嶋先生も法廷に連れて行きました

職員の方に尋ねると「USBとか何か隠し持っていないかどうか」とのことで、西嶋先生を見せつけても特に何も言われることはなかった。一安心。

第7回公判傍聴記

11時、定刻通り開廷。

(1)遺体の写真の提示

まず小川先生が、被害者の遺体に縄などが巻き付いていること、酷い暴行を受けていることから、怨恨目的の複数犯による犯行であり、袴田さんには不可能だということを再度主張。

遺体の写真を提示する前に、大きなモニターは消して、傍聴席からは見えないようにされる。そして小川先生が、写真を見せながら、首や腕などに巻きついた縄のようなものや、歯が折れていたり指の先端がなかったりといった酷い暴行の痕などを淡々と説明していく。

裁判官3人は、モニターに顔を近づけて食い入るようにじっと見つめていて、その表情は読めない。

一方の検察側は、画面を眺めながら首をひねったり、いやいやいや~という感じで苦笑いを見せたり、納得のいかない様子。また、「縄かどうかは弁護側の見解ですよね?」みたいな揚げ足取りの異議も何度か。

記者会見では写真を見ることができたが、縄っぽいものが見えるという程度で、絶対に縄だと言い切れるほどではないとは思う。そもそもあまり鮮明な写真ではない上、焼死体で黒く焼け焦げているので、少なくとも私には判断がつかない。

前日の静岡地検の記者会見では、「縄だとは判断できない」としていた。ここについてもし反論するのなら、もっと鮮明な写真が開示されるのだろうか。

(2)自白について

冒頭陳述

田中先生の冒頭陳述。相変わらず、美しく通る声に抑揚たっぷりで、説得力抜群の話し方。聞いていて惚れ惚れしてしまう。

まず大前提として、この事件は自白がなければ立件できなかったという点。

パジャマやくり小刀、雨合羽など、物的証拠は弱いものしかなかった。だから警察・検察は、必死で自白を取ろうとしたのである。いわば自白ありきの事件なのに、今回の再審では、検察側は自白を用いていない

取調べの録音テープが開示されたのは2015年のことである。

取調べの合計時間は約430時間に及び、開示されたのはそのうちの約47時間のみではある。しかし拷問のような取調べの実態や、袴田さんが自白へと落ちていく過程がまざまざと窺える。

確定審における取調官の虚偽証言も、録音テープから明らかになった。
取調官は、大声を出して威嚇したり、お前が犯人だと責め続けたりしたことはない、と確定審で証言していたが、その様子はしっかりと録音テープに残っている。

また、冤罪事件の虚偽自白の分析に多く携わってきた心理学者・浜田寿美男教授の鑑定でも、これは「無実の人の虚偽の自白である」と結論付けられている。

例えば、自白調書や録音テープには、真犯人ならば知っている情報を袴田さんが知らなかったり(=”無知の暴露”)、取調官が出した情報をもとに、袴田さんが自白を作っていく過程(=”逆行的構成”)が多く見られると分析される。

取調官が奪った金の預け先を聞く場面。
「○○(同僚の女性)か?」と名前を出した後に、「じゃあ家族か?」と続けて聞く。
そうすると、(家族に迷惑をかけられない......)という心理から、袴田さんは同僚の女性だと答えてしまう。そんな誘導が行われていくのである。

さすがは冤罪王国静岡のことだ。過酷かつ巧妙な取調べ方法がマニュアル化されていたのだろうか。

録音テープ再生

白山先生から、録音テープを実際に再生しながら、過酷な取調べの状況が説明されていく。私は、検察官の顔を観察する準備万端。

最初に流されたのは、袴田さんが逮捕された1966年8月18日の、逮捕前のまだ任意出頭時点のもの。激しく責める取調官に対し、袴田さんも強く反論している。

58年前の、生々しい取調べ音声が法廷に響き渡った瞬間、検察官3人が、(これはひどいな......)と呆れた顔をしたように見えた。

その後も、取調官が「お前がやったんだ」と責め立てたり、逆に反省するよう優しく諭したりと、あの手この手で自白を迫る音声が続く。

最初のほうは取調官にも怯まず言い返していた袴田さんの声は、次第に弱々しくなり、ほとんど聞こえなくなっていく
8月の炎天下に1日平均12時間だ。身も心も、すぐにぼろぼろになるだろう。

8月29日の捜査会議で、何としてでも自白を取るという方針が打ち立てられ、取調官も4人から6人に増員された。ここから、勾留期限の9月9日に向けて、取調べはさらに熾烈をきわめることになる。

県警の資料には、
「取調官は確固たる信念を持って、犯人は袴田以外にはない、犯人は袴田に絶対間違いないということを強く袴田に印象づけることに努める」
「事件後50日間泳がせてあったため、警察の手のうちや、新聞記者との会見などから犯人は自分ではないという自己暗示にかかっていることが考えられたので、この自己暗示を取り除く」
など、何とも不自然な文言がある。少なくとも、袴田さんが真犯人だと警察が本当に信じているのなら、このような書き方にはならないだろう。

9月4日の取調べ時間は、実に16時間以上にも及ぶ。
その中で、袴田さんをトイレに行かせない発言と、取調室内に便器を持ち込む様子が録音されている。

そして9月6日、ついに自白を始めた日だが、取調べ時間14時間40分のうち録音は10時間で、肝心の自白に落ちた瞬間の録音はない。取調官が証言する、”涙をこぼしながら「私がやりました」と言った”という場面は、なぜか存在していないのである。

これらの取調べの録音を聞きながら、検察官は、肘をついたり首を傾げたり苦笑いをしたりしながらモニターを眺めたり、急にきょろきょろと法廷内を見渡したり、何を書いているのかメモを取ったりしていた。

この音声だが、昔のきつい静岡弁と音質の悪さのせいで、モニターに映している文字起こしがなければ、おそらく全く聞き取れない。

つまり、少なくともモニターから目を離している時間は、検察官は音声を聞いていないはずなのである。全体的な印象としても、三人とも真面目に録音を聞こうとしているようには見えなかった。

他人事じゃねえんだぞ。と思わず言いたくなった。

検察官の様子を観察するのに忙しかった私には、録音テープの内容はほとんど聞き取れていない。

しかしふと目に入ってきて印象に残った台詞がある。8月21日の検事による取調べである。

「君を恨んで君のパジャマに血を塗りたくったり、油をつけたりするような人間はいないわけだ。なあ?」

(3)5点の衣類の血痕の赤みについて

冒頭陳述

間先生による冒頭陳述。その中で、「巖さんは無罪です」と何度も力強く訴える間先生の声が、法廷に朗々と響き渡る。

そして、「5点の衣類が、(みそが仕込まれる)”1966年7月20日以前にみそタンクに入れられていた”という事実を証明できなければ有罪にならない」として、検察側の「”血痕に赤みが残る可能性がある”という程度の立証では不十分」と、威圧するように高らかに述べた。

また、5点の衣類についてはすでに決着がついているにもかかわらず、理不尽に再審を長引かせていることを激しく糾弾し、最後にまた、「巖さんは無罪です」と締めくくった。

私の記憶の限りでは、確か他の先生方は「袴田さん」と呼んでいた気がするのだが、「巖さん」という呼び方に心があたたかくなる。

また、この冒頭陳述の際はモニターを消していたのだが、それもあえてなのか、自然と間先生のまっすぐな姿勢に目を奪われる。検察・裁判官を圧倒するような、素晴らしい冒頭陳述だった。

みそ漬け実験結果

次に、支援者らが行ったいくつかのみそ漬け実験と、検察側が行ったものも合わせて9つの実験を紹介。様々な条件で実験を行っても、いずれも血痕に赤みは残らないということを改めて主張。

支援者・弁護団による主なみそ漬け実験の報告書は、弁護団のホームページから見ることができる。以下、写真を転載している。

これは、血液をつけた衣類を、市販の赤味噌に1年2ヶ月間漬けた実験の結果である。

1年2ヶ月味噌漬け実験報告書 | 袴田事件弁護団ホームページ

1年2ヶ月間みそ漬けにした衣類の様子

そしてこちらは、事件当時に製造されていた味噌にできるだけ似せて、原料から味噌を製造し、血液をつけた衣類を6ヶ月間漬けた実験の結果である。

再現仕込み味噌・味噌漬け実験報告書 | 袴田事件弁護団ホームページ

再現仕込み味噌に6ヶ月間漬けた衣類の様子(血液付着後24時間経過後の衣類)

これらの実験を見るだけでも、みそタンクから発見した従業員らが、一目見ただけで「血の付いた衣類」と判断できるようなものではないことは、火を見るより明らかだ。

検察側も実験を行っているが、なるべく血痕が赤く保てる好条件下のもと、赤みが増して見える白熱電球の下で写真を撮影している。

しかし、それでもほとんど黒に近い色になっており、5点の衣類のカラー写真とは別物である。弁護団や裁判官が実際に見たところ、赤みが残らないことが確認されている。

化学的機序

そして、この実験結果を裏付ける、化学的根拠をじっくりと解説。
難しい話にはついていけなかったので、私がたぶん何となく理解できた範囲でおおまかに。

①弱酸性+塩分

仕込み中の味噌は、ph5くらいの弱酸性10%弱の塩分濃度である。その環境下では、血液を赤く見せているヘモグロビンが破壊され、血液は黒褐色になるという。

②ヘモグロビンの酸化

また、体外に出た血液は、ヘモグロビンの酸化によってだんだん黒くなっていく。
たとえみそタンクの底に入れたとしても、酸化するのに十分な酸素はあるらしい。

③メイラード反応

メイラード反応とは、糖とタンパク質が反応して茶褐色になることである。味噌はまさに、大豆と米などのメイラード反応を利用して作られている。
そして、同じタンパク質である血液も、糖によってメイラード反応が起こり、茶褐色に変化するはずだという。

このような専門的なデータを綿密に説明された。これはさすがにぐうの音も出ないだろう。

16時50分頃、閉廷。

記者会見

この日の記者会見は、なんだか少し異様な空気になった。先生方のマスコミ批判などに何度も拍手喝采、支援者が発言する場面もあり、大いに沸いた。

間先生は、「すでに終わった話をぶり返して、理不尽に長期化させる再審のやり方は許せない」と述べ、「ねつ造の可能性が高いことは、再審請求審ですでに裁判所が認めている。このことを留意した上で報道していただきたい」と記者たちに訴えかけた。

角替先生も、「再審請求審の蒸し返しの無駄な議論を、裁判所が検察に許してしまっている。マスコミの皆様は世論の力で、検察に期日を設けさせないくらいの意気込みで報道してほしい。それならやった意味がある」と記者たちに訴えた。

そして、「1年近く再審を行って、裁判官が真に迫った判決を書いてくれなければ、無駄な時間を過ごしたとはっきり書いてもらいたい。無罪判決を出したというだけで裁判官を評価しないでほしい」と言い放ち、支援者からは「そうだ!」と声が上がり拍手が沸き起こった。

支援者の山崎さんも、「いったいこの事件の本質は何なのか。ひで子さんと巖さんが長生きしてくれたから白日に晒されているが、亡くなっていたら死人に口なしになる。報道陣の責任もある」と語る。

私も、失礼を承知で言わせてもらうが、マスコミの方々には、もっと踏み込んだ報道をしてもらいたいと常々思っている。

この事件は、今回の公判ではこういう主張をしました、無罪判決が出ました、ハイ終わり、ということではない。無罪判決は決してゴールではなく、むしろスタートでもあり、私たちはもっと根源的な問題に目を向けるべきなのである。

記者会見冒頭で、ひで子さんは「素晴らしかった」と弁護団を評価し、「もう一山も二山も三山も越した。勝利は目に見えております!」と満面の笑みを見せた。

しかし、記者の方は、「取調べの録音テープは私たちが聞いても辛かったのですが、姉としてどう思われましたか?」みたいな、お涙頂戴発言を引き出すような質問ばかり繰り返す。

まあ、ひで子さんはそんな手には乗らない「今さら巖がかわいそうだどうのこうの言うよりも、2014年3月27日に巖が出てきたことのほうが大きい」とばっさり切り捨てる。

ひで子さんは前しか見ていない。無理矢理に後ろを向かせるような質問はやめていただきたい、と私はずっと思っている。

弁護団への質問も、だいたいは事務的なものばかり。記事を書く上で内容に齟齬がないかの確認だったり、次の公判の予定についてだったり。いったいこれは何のための記者会見なのか、と感じるときがある。

まあ、なかなか難しいのはもちろん承知の上で、偉そうにすみませんなのだが、ただでさえ少ない傍聴席の半分を占領しているからには、巖さんやひで子さん、弁護団の先生方や支援者の方々の思いを胸に刻んで報道していただきたい。

本音をちょっとだけ。

ではここから、私が一般の傍聴人として少しだけ本音を言わせてもらう。
私は何者でもないし、ここは別に誰が見ているわけでもないので。たぶん。

検察官3人へ。もう一度言う。他人事じゃねえんだぞ

もちろん、事件発生当時の責任は今の検察官にはないし、どうせ上から嫌々押し付けられているだけだろうから、私もある程度は同情的に見るようにしてはいる。

しかし、今、改めて巖さんを死刑にしようとしているのはあなたたちだその重みを一生涯背負っていく覚悟があるか

せっかく優秀で、たくさん勉強して検察官になったのに、正義に反する仕事をして幸せですか。さも正義ぶって、つんと澄ました顔で有罪立証をして楽しいですか。そこまでして守りたいものっていったい何ですか。検察の面子?お金?家族?

それとも、腐った組織に属しているうちに、正義なんてものは忘れてしまうのですか。自分たちのしていることが見えていますか。あなたたちにとって、この裁判は何なのですか。人一人の命も時間も、どうでもいいものですか。判決が出ればスパッと忘れてしまうようなものですか。

冗談じゃない。私なら、自分の正義に反することをしなければならないのなら、自分の正義自体を失うのなら、すべてを投げ出してでも逃げる。

裁判官もまた然りで、なるべく公正な審理を行おうとしているのはわかるが、どうしてこう臆病なのか。

法廷という場のどこまでも保守的な空気は、どんよりとしていて息が詰まる。

 

ふぅ......。まあ、こんなところで(笑)

そんな中でも、諦めず闘い続けてきた方々のおかげで、もう半年も経てば巖さんに真の自由が訪れる。それはもちろん、この上ない素晴らしい喜びだ。

そして、それを機に、この凝り固まった司法制度に少しずつでも風穴があくことを切に願っている。

次の公判は2月14日、15日。
14日の午前中は弁護側から裏木戸とお札などについての主張、その後は検察側、15日の最後に弁護側から反論、とのこと。
その次は3月25、26、27日、証人尋問に入る。

次回は私がチョコを配っているかもね......?

*1:2枚目上の写真は、袴田巌さんに一日も早い無罪判決を | 全国革新懇ニュース | 全国革新懇からダウンロード、印刷して使用させていただいております。

【追悼・西嶋弁護団長】第6回公判 /「時間がない」ボクサーの叫び【袴田事件再審】

2024年1月16日火曜日、今年初めとなる、袴田事件再審第6回公判。この日はかなり寒いということで、防寒をしっかりして静岡地裁に向かったのだが、むしろ少し汗ばむくらいで、美しい青空が広がっていた。

その3日前、とても悲しい知らせが届いた。

袴田事件弁護団長の西嶋勝彦先生が、2024年1月7日に82歳でお亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。

車椅子に酸素チューブというお姿でも、いつも力強く聡明に弁護活動を続けられる姿勢を、心から尊敬しておりました。

実は、昨年12月の第5回公判の際、私が裁判所1階で休んでいたところ、気付いたら近くに西嶋先生がいらっしゃっていて、なんと、西嶋先生のほうから私に話しかけてくださったのです。突然だったのもあり大変恐縮しながらでしたが、ほんの少しだけお話しさせていただけました。

まさかあれが、最初で最後の会話になってしまうなんて…。これからもっともっとお話しさせていただきたかったです。無罪判決を見届けていただきたかったです。その暁には、一緒に日本酒で祝杯を上げたかったです。さみしくて堪りません。

第5回公判の際。大切な1枚。

第5回公判の際は、朝弁護団とひで子さんを送り出すときに横断幕を持たせていただいた。

西嶋先生のお顔が隠れないように、なるべく下で持つように指示されるのだが、たくさんのカメラに緊張して、つい手が上がりそうになるのを必死で下げながら歩く。そんな努力ももう要らないんだなあ......と気付く、そんな折に触れても、寂しさが溢れ出す。

訃報を聞いた瞬間、頭が真っ白になって、気付けば数時間が過ぎていた。悲しさと虚しさからなかなか抜け出せず、自分が西嶋先生に非常に深い敬愛の念を抱いていたことに、今更ながら気付かされた。

私ですらこれだ。長年共に闘ってこられた方々の悲しみを思うと、それにもまた胸が苦しくなってしまう。

でも、西嶋先生はきっとお空から見守ってくださっているから、絶対に大丈夫。いつまでも凹んでいても仕方ないし、無罪判決まであと半年、最後まで走り抜こう。

西嶋先生、ありがとうございました。(2023.10.27)

 

さて、ここから、第6回公判の日の話。

日本プロボクシング協会の皆様

この日は、日本プロボクシング協会から、袴田巌支援委員会委員長の新田渉世さん真部豊さん松岡修さん、そして元世界チャンピオンの飯田覚士さんの4名がいらっしゃった。

午前9時ごろ、日本プロボクシング協会の皆様

1980年に最高裁で巖さんの死刑判決が確定すると、ボクシング関係者の方々がすぐに支援活動を始められた。そして現在まで、ボクシング界が一丸となって支援活動を続けられている。
私のTwitter(現X)のフォロワー様にも、ボクシング関係者の方が多く、その支援の輪の大きさには驚かされる。

さすがはボクサーというものか、皆様キリっと精悍な顔つきをされていて、気圧されるような存在感がある。ご挨拶させていただくタイミングを窺うも、なかなか勇気が出ずモジモジしていた。

すると、「清水っ娘!」と呼ばれて、ヒエッ!となる。「読んでるよ~」と優しく話しかけてくださったのは真部さん。こんな風に声をかけていただくこと自体初めてで動揺してしまったが、めちゃくちゃ嬉しかったです。ありがとうございます...!!!

この日の傍聴希望者数は104人で、傍聴席26席に対して、倍率はぴったり4倍。
単純計算で4人のうち1人は当たる計算なのだが......残念ながら4人とも落選。私もこの日は外れてしまった。

静岡地裁前、ボクシング協会の皆様と、弁護団とひで子さん。西嶋先生もともに。

「公平なリングで試合を」ボクシングの大切な仲間への思い

弁護団を送り出したあと、日本プロボクシング協会の皆様による記者会見が行われた。

袴田巌支援委員会委員長の新田さんは、人々の関心が薄れないように、ボクシング界を挙げて活動し続けていることを強く訴えた。支援活動をアピールするために、缶バッジなども作っている。(私も一ついただいた!ありがとうございます!)

そして、ボクサーとして、「公平なリングで試合をしてほしい」と語り、検察が証拠開示を行わないなど、再審制度のあり方について苦言を呈した。

また、仕事の都合などもある中で東京から来たのに、4人のうち1人も傍聴できないという現状を嘆き、より開かれた裁判へ、と傍聴席の拡大などを求めた。

事件当時、巖さんが逮捕された理由の一つには、元プロボクサーだからという偏見があった。元世界チャンピオンの飯田さんは、今頑張っている現役のボクサーのためにも、そのような偏見は絶対にあってはならないと語気を強めた。

また、プロボクサー時代の巖さんの最高位は、日本フェザー級6位。また、年間19試合という、年間試合数の日本最多記録を保持している。今のプロボクサーでは、試合数は多くて年間4、5試合ほどで、巖さんの記録は想像もつかないほどだという。

飯田さんは、そのタフさがあるからこそ、辛い獄中生活にも耐えられたのだろうと、「ボクシングって凄い」を体現した選手として、巖さんを尊敬していると話した。

また、袴田事件の再審が始まった時点で、すでに終わったような風潮があるが、「まだ終わっていない」ということを強くアピールしていきたいと語った。

真部さんは、2014年3月、静岡地裁が再審開始決定を出したときも、同じ場所に来ていたという。それから10年の年月が経った今になっても、未だ無罪判決が下されていないことに憤りを見せた。

松岡さんは、巖さんはボクシングの大事な大先輩であり仲間であるとして、もう高齢で時間がない1日も早い無罪判決を、と強く訴えた。

ボクサーの強さと優しさ

失礼ながら、私はボクシングをはじめ格闘技にはとても疎い。しかし、お話を聞いていて、ボクサーの方々の優しさや、仲間意識の強さはよくわかった。単なる支援活動というよりも、巖さんに対する厚い友情のようなものを感じる。

また、ボクシングというスポーツは、自分との闘いという部分が大きいのだろう。今回お会いした皆様も、巖さんも、身体だけではなく、精神的にもぶれない軸を持っているように見える。その精神力の強さ故に、他者に対して思いやりがあるのではないだろうか。

また、「闘い」に対する感覚が、一般人とは少し違うように思った。常に生命の危険と隣り合わせのスポーツだからこそ、「ルールに則り公平に闘う」という意識が非常に強いのではないか。

巖さんは、元プロボクサーだからこそ、あの過酷な取調べでも20日間も耐えたのだろうし、死刑が確定するまでは、面会に行ったひで子さんや兄弟が、逆に励まされるほど元気だったという。

しかし、そんな巖さんの精神すら蝕んでしまうのが、死刑制度の恐ろしさである。

袴田事件と関わるなかで、ボクシングへの偏見どころか、魅力ばかりを知ることになっている。いつか機会があれば、試合を見に行ったりもしてみたいものだ。(ちょっぴり怖いけれど......)

かっこいいボクサーの皆様と、ファイティングポーズ!

第6回公判概要

傍聴はできていないので、ざっくりと内容だけ。

今回は弁護側から、主に以下の点について。
(1)5点の衣類:損傷などについて(角替先生、西澤先生)
(2)共布について(笹森先生)
(3)5点の衣類:麻袋などについて(小川先生)
(4)遺体の写真について(同上)

(1)5点の衣類:損傷などについて

5点の衣類の中の鉄紺色ズボンには、右すねの部分にかぎ裂きの損傷がある。そして、巖さんの右すねには大きな傷があった。巖さんは、犯行時に専務に蹴られてできた傷だと自白した。

しかし、逮捕時の身体検査では、右すねの傷についての記載はない。全身くまなくチェックされ、ほんの小さな傷でも記載されているのに、だ。つまり、右すねの傷は逮捕後にできたものである。

それならなぜ、犯行着衣のズボンに、逮捕後にできた傷と同じ位置の損傷があるのか。......後から損傷を作ったとしか考えようがない。

また、巖さんの右肩には怪我があり、5点の衣類の白半袖シャツ、ねずみ色スポーツシャツにも穴が開いている。しかし穴は、上着のスポーツシャツには1つなのに、下着の白半袖シャツには2つ。数が不自然である。

法廷では、ズボンとスポーツシャツが実際に展示された。

また、検察側は、警察が巖さんの衣類を把握できるわけがないと主張するが、事件当時は警察がいつでも寮に入れる状態であり、衣類の管理も杜撰だったことがわかっている。

(2)共布について

巖さんの実家で押収されたズボンの共布が、5点の衣類と巖さんを結びつける証拠とされたが、その共布が見つかった経緯が実に不可解である。

まず、警察は別の目的で実家の家宅捜索を行った。しかし、黒い布切れを発見すると、5点の衣類の鉄紺色ズボンと「同一色、同一生地」と瞬時に断定し、その後すぐに捜索を切り上げている。

警察に布を見せられた巖さんの母親・ともさんは、喪章だと思うと答えた。この発言は、専務一家の葬儀の際に、巖さんが実際に喪章をつけていたこと、香典返しの砂糖が一緒にあったことから、ごく自然である。

しかし検察は、ともさんが言い淀んだ部分の揚げ足を取るようにして、有罪立証に用いている。

(3)5点の衣類:麻袋などについて

確定審においても、巖さんがズボンを穿けなかった点から、ズボンが縮むかどうか、控訴審でみそ漬け実験を行っている。

この実験でみそ漬けにされた麻袋は、色は真っ黒で、生地の目も詰まっているが、5点の衣類の麻袋は、明るい茶色で、透かせば光が通る状態である。

また、ズボンが穿けないのはみそで縮んだせいとされたが、実際はズボンのわたり(脚の付け根部分の幅)が小さすぎることがわかっている。

(4)遺体の写真について

遺体の写真から、縄が巻き付いているような様子が確認できたり、歯が折れているなど酷い暴行の様子も窺えることから、改めて真犯人は怨恨目的複数犯であることを主張。

また、この遺体の写真は、再審請求審で新たに開示されたサイズの大きいものであり、それ以前の写真でははっきりと確認できなかったことから、警察は何かを隠蔽しようとしていたと考えられる。

(→この点について、閉廷後に静岡地検が記者会見を行い、縄とは判断できないと反論した。)

記者会見

記者会見の席にも、西嶋先生のお写真が飾られた。

始まる前に、小川先生、ひで子さん、西嶋先生のスリーショットをいただきに行く。実はスマホケースに秘密兵器を仕込んであった。

私のスマホを見て笑っている小川先生とひで子さんを激写

写真を撮らせていただくときに皆様が笑顔になるように、と西嶋先生のお写真*1を入れておいたのだ。お二人に笑っていただけて幸いだ。

仲良し~(^^)

記者会見で、まず小川先生が、「西嶋先生の思いを身に纏って、非常に良い主張ができた」と述べられた。

ひで子さんは、西嶋先生への深い感謝を述べられ、また、「巖の無罪判決を聞いてほしかった。もう半年生きていてほしかった」と口惜しさを漏らした。

そして、今回の公判の弁護団の姿を、「西嶋先生が見ているのかなと思うくらい」素晴らしかったと称賛し、「もう勝ったようなもん!」と明るい笑顔を見せた。

西嶋先生とは47年間の付き合いだった田中先生は、”西嶋学校の生徒として”記録の読み方や主張の仕方などを教わったという。

恩師の急逝に、苦しくて2、3日何も手につかなくなるほどだったというが、残された皆で力を合わせて頑張ることこそが恩返しになる、と力強く述べられた。

弁護団の体制としては、とりあえずは今まで通り集団指導体制でやっていくとのことだ。後の1月23日には、小川先生が主任弁護人となり、弁護団長は置かないという方針が決まった。

弁護団の皆様は大変お辛いとは思うが、会見では今までとほとんど変わりなく、冷静に的確な発言をされていた。むしろ、全員が西嶋先生の分まで気を引き締めているような、清々しい空気を感じた。

残された弁護団の先生方の力で、夏には必ずや無罪判決を勝ち取れるだろう。早く西嶋先生のいらっしゃるお空に向かって、「無罪」の文字を掲げたいものだ。

私も残り半年、また決意を新たに頑張っていこうと思う。

「時間がない」、だからこそ。

ボクシング協会の皆様が掲げる「時間がない」という言葉は、巖さんだけに限らず、いみじくも袴田事件を取り巻く現状をも表している。

今年で、事件発生から58年、巖さんの死刑判決確定から44年になる。30歳で逮捕された巖さんは今年で88歳、ひで子さんは91歳だ。その分だけの年月は、巖さん、ひで子さんらご家族だけでなく、弁護団や支援者、その他関係する人々全員にも流れているのだ。

そのあまりにも長い年月の重みは、私にはきっと理解することができない。

訃報を受けて、私は呆然としながら、ネット上の西嶋先生の画像を眺め続けていた。
その中には、私の記憶にはない若々しいお姿があり、再審開始決定の際の綺麗な涙があり、また弁護団の先生方やひで子さん、支援者の方々が、共に泣き笑って闘ってきた姿があった。

そんな写真を見ているうちに、自然と頬が緩んでいた。そして、私は皆様のことが本当に大好きなんだなあ......と気が付いた。

しかし、普段はあまり実感することはないのだが、今関わらせていただいている方の多くは、私よりも半世紀分くらい年上である。大好きな皆様がいつかいなくなってしまうと考えただけでも、苦しくて堪らなくなってしまう。

人の命とは儚いものだ。お別れのときは急にやってくる。私だっていつどうなるかわからない。

後悔しないように、やりたいことはやれるうちにやろう。会いたい人には会えるうちに会いに行こう。話したい人とは話せるうちに話そう。

今生きている一瞬一瞬を大切にしようとしみじみと感じ入る、今日この頃である。

2023年を振り返って。そして2024年の抱負

2024年がやって参りましたね。
昨年お世話になった多くの皆様に心の底から感謝申し上げます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

また、能登半島地震、航空機事故によって被害に遭われた皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

新年早々辛いニュースが続きますが、これから皆様にとって幸福がたくさん訪れますよう、お祈り申し上げます。

今年はきっと、巖さんが真の自由を取り戻し、ひで子さん、また弁護団の先生方、支援者の方々などに素晴らしい幸福が訪れることでしょう!

私も微力ではありますが、無事に無罪判決が下されるまで、気を抜かずがんばっていきます。年女という節目でもありますし、ここでしっかり気合いを入れておこうと思います。よし!

習字の上手な友達に書いてもらったやつ~

さて、この記事では、私の2023年の振り返りやら何やらと、2024年の抱負を書いていこうと思います。かなり個人的なことをだらだらと書いているので、興味がある方だけお付き合いください~^^

大学卒業、無為に過ぎ去る日々

今からちょうど一年前、私は京都の下宿先で一人、大学の卒論を出し終えて卒業を待つだけの無為な日々を過ごしていた。

大学生活はそれなりに楽しかった。しかし、卒業したとてやることもない。
秋頃まではそれなりに就活もしていたのだが、どうにもこうにも上手くいかず…そんな中で、もともと患っていたうつ病が次第に悪化、気付けば心は粉砕骨折していた。

大学卒業式。自堕落で気ままな学生生活でした

就職が決まった友人は引っ越しやら手続きやらに走り回り、私はカーテンを閉めた部屋で一人。誰かと話すことも笑うこともなく、友達は本と酒だけ。

スマホもほとんど見なかったので、袴田事件再審決定のニュースも知らなかったか、もしくはさほど気に留めてはいなかった。

実家暮らし引きこもりニート

4月、清水の実家に帰ってきた。
数ヶ月間は精神的にかなり不安定で、ほとんどベッドから出なかったと思う。あまり記憶はない。

ほとんど引きこもっていたが、図書館だけには通った。
小説もたくさん読んだが、事件系のルポルタージュ本や、裁判や刑法など、司法関連の本も手当たり次第によく読んでいた。

私はもともと事件などに興味があって、ただ好きな本を趣味として読んでいただけにすぎない。法学部出身でもないし、勉強をしていたわけでもない。

だから司法などについては完全な素人だし、今も基本的には怠惰でいろいろと意識の低い人間だ。

全くの無知から、袴田事件に引き込まれる

8月か9月頃だったか、袴田事件再審の初公判期日が決まりつつあるという記事を見て、「そうか、静岡地裁でやるのか」と思った。そんなことすらわかっていなかった。

見た瞬間に行くことを決めた。歴史に残る重大な再審に、どうせ暇な私が、行かない理由もなかった。その足で図書館に行き、関連の本をあるだけ全部借りてきた。

いくつか書籍を読み、こんなに酷いことがあるのか…と衝撃を受けた。袴田事件の全貌を知れば、こんなの最初からすべてがおかしいと誰でもわかるのでは…?

私は本当に何も知らなかったのだ!
袴田事件も含む過去の冤罪事件は、「ミス」や「間違い」だと思っていた。「捏造」や「隠蔽」によって無実の人を「意図的に」陥れる、そんな荒唐無稽なことが現代の日本にあるなんて、想像すらできなかった。

無罪判決をこの目で見届けなければいけない、何だかそう感じた。清水の人間として、事件を知らなければいけない、風化させたくない、という勝手な使命感のようなものも抱いていた。

初公判の衝撃

そして迎えた2023年10月27日袴田事件再審初公判。午前8時半頃の静岡地裁前は支援者に報道陣に大賑わい。

静岡地裁前で横断幕や旗を掲げる、各地から集まった大勢の支援者。初めて生で拝見したひで子さん。闘う人々は皆若々しく、くらりとするほどの熱気を感じた。

傍聴券は外れ、さてこれからどうしようかときょろきょろしていたところ、支援者の方に声をかけていただいた。そこから他の支援者の方ともお話しさせていただき、記者会見までしれっと居座っていたのだった。

あの日の何とも形容しがたい熱狂はまだ忘れられない。私も何かしたい!という思いが溢れた。

「支援する」ということ

しかし、私は正直、支援者という立場に立つことには迷いがあった。支援者の熱さに恐怖すら感じてしまったのもあるし、そもそもこのような支援団体=過激というようなイメージもあった。
まあ、ある意味でそれは正しい。社会を動かすのはいつだって非常識で型破りな人間なのだ。この再審だって、そんな方々がいなければ実現していなかった。

しかし、基本的には皆穏やかで知的で魅力的な方々であり、今まで大変よくしていただいている。すでに無罪判決が出たのかと錯覚してしまうほどの和やかさも常にある。私は支援者の皆様のことを心から敬愛している。

袴田事件支援者の方々と。(第3回公判)

それでもなお、自らを「支援者」と呼ぶことに躊躇いを感じてしまうのは、単に自分の未熟さ故である。すでに再審が始まっている今、物凄い支援者の方々が揃っている中で、私にできることなどほとんどない。

何かしたい。でも何をするべきか。何ができるか。そんな思いは、今でもまだ頭の中をぐるぐるしている。でも、とりあえず使えそうな私の武器は3つはあるかな、と考えた。

武器①:若さ

支援者の方々はかなり平均年齢が高めで、23歳の私は、まあいつもポツンと浮いている感じだ。若いというだけで広告塔になるのなら、好きに使っていただいて構わない。

また、支援者の方々でスマホやパソコンを使える方も少ない。やはりここは若者として、ネットはどんどん活用していきたいと思っている。のだが…ここに辿りついてくださる時点で、すでに興味を持っている方がほとんどだと思う。

私としては、袴田事件を知らない人、興味のない人を呼び込みたいと思っている。何かしらでバズったら良いのだが…。

支援者の方々とお話ししていて、やはりジェネレーションギャップを感じることは多い。まあそれはお互い様だし、持ちつ持たれつになればと、生意気に何でも発言するようにしてはいる。

武器②清水生まれ

初公判のときに、「清水出身”なのに”すごいね」と声をかけられて、首をかしげたことがある。私は「清水出身”だから”来た」つもりだったのだ。

清水、特に事件現場付近では、今も風当たりは厳しいらしい。中学一年生のとき、袴田さんが釈放されたというニュースを、先入観なく眺めることができた私は、とても恵まれていたのだと後々気付いた。

実際に、事件当時から清水在住で、未だに袴田さんが犯人だと言う方とお話ししたことがある。恵まれている私には、まだこんなことを言っている人が存在する、ということ自体が信じられなかった。悔しくて、精一杯”弁護”したが、話はずっと平行線。なんだか泣きたくなった。

無理もないことなのかもしれない。しかし、清水の人だからこそ、この事件から目を背けるべきではない、私はそう思う

武器③?:文章力

まあ、武器かはわからないのだが、少なくとも文章を書くことは好きである。そのせいでブログがいつも冗長になってしまう。すみません!

昔から本を読むことと文章を書くことが好きで、小さいときから夢はずっと作家だった。大学時代は文芸サークルで小説の執筆に取り組んでいた。このサークルの仲間の存在が、まだもう少し夢を見ていてもいいかな…と思わせてくれている。

今もこうして文章を書くのが楽しい。私の言葉が少しでも誰かの役に立てていれば嬉しい。自分の言葉で社会を動かしてみたい、それが私の野望である。

”清水っ娘”爆誕

そして生み出されたのがこのブログだ!自分で名乗るのは恥ずかしかった”清水っ娘”の響きにも、だんだん慣れてきている(笑)

袴田事件に興味がある人はもちろんだが、私はやはり「恵まれた」若者たちに読んでほしい。Z世代とか呼ばれる私たちは、すでに「袴田事件=冤罪」の世論の中で育ってきた。あとは知るだけだ。

しかし興味のない人に届けるのはなかなか難しい。何か策を打たねば...。

このブログは、まったく袴田事件のことを知らなかった若い女が、再審を追いかけているうちにいろいろ学んでいくドタバタ奮闘記、みたいな感じを出そうと思っていた。

しかし最近では、もはやただの一般人としての感覚がわからなくなっている気がする。思い描いていた方向性からはどんどん外れていくし、更新も遅いし、もはやどう軌道修正するべきかわからなくなっています(笑)

いつの間にかズブズブに

公判や集会に顔を出し、ブログを書き、手作りの名刺もどきを配り、などしているうちに、すっかり支援者の一員のようになってしまった。浜松にも行き、袴田家にお邪魔させていただき、先月は巖さんとお友達にもなれた。

巖さんと初対面したとき(11/18)

大変有難いことに、支援者の方々からブログの記事を褒めていただけたりもして、少しずつ認めていただけているのかな、と勝手ながら感じている。

こうして活動することは、言葉を選ばずに言えば、ただ「楽しい」「面白い」。様々な分野で勉強になるし、充実しているなと感じる。袴田事件に飛び込んだことは、私の人生にとって素晴らしい経験になると思う。

しかし、私が今こうして活動できているのは、ひとえに巖さん・ひで子さんや、弁護団や支援者の方々の血の滲むような努力の結果である。いつ何時も、皆様の長年の努力への敬意は忘れてはいけない。私がうまい汁を吸うことは絶対に許されないのである。

それを踏まえたうえで、袴田巖さんに無罪判決が出るまで、私も全力で走り抜こうと思っています。

第5回公判前。ひで子さん、弁護団の先生方、今年も頑張ってください!

2024年ガチ抱負

ここからやっと2024年の抱負を述べていきます。
今年は大きく飛躍できる一年にしたいと思っているので、割とガチなやつです。

①貪欲に、がむしゃらに。

この活動の中で、書くことを仕事にしたいという気持ちがだんだん強くなってきた。

実力はもちろん必要だが、使えるものは使う、行けるところは行く、できることはやる、そんな中でどこに落ちているかわからないチャンスを掴み取りたい。

自分の成長のためにも、たくさんのことを学び吸収する年にしたい。私の座右の銘は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」。肝に銘じて行動するぞ。

まずこのブログの方向性、ターゲット、書き方などを一度軌道修正して、新生”清水っ娘”(?)を爆誕させたい。もっと一般の人々に知っていただけるよう、一度立ち止まって考えてみたい。アイデア等、随時募集中!

そして、目論んでいることもある。落ち着いたら関係者に取材をして、何かしらまとめてみたいということ。

私は袴田事件についてもっと知りたい。私が知らない間に、誰がどのように動いて、再審開始、そして後の無罪判決まで導いたのか。私は単純にそれが知りたい。関わってきた人の人生が知りたい。

②太く、長く。

ブログを始めてからここが一番の課題。できるだけたくさん、そして継続的に活動を頑張りたい。

私はADHDを持っている。もちろんそのせいだけではないが、オン/オフの切り替えやタスクの管理、情報整理なんかが超苦手だ。おまけにうつ病パニック障害もあって、心身ともにまあ常に不調ではある(笑)

一度集中してしまうとそこからずっと追われている気分になったかと思えば、ぷつっと一週間以上電池が切れたようになったりする。

自分の中でルールを明確に決めて、生活を改善していきたい。無罪判決まででも、まだまだ長い闘いだ。それに、そろそろ甘えていられる歳ではないこともわかっている。すぐに治るものではないから、生きていくためには自分で何とかするしかないのだ…。がんばろう。

③人生を楽しむ!

とはいえ、やっぱり楽しく生きたい!いろいろ挑戦したい。冒険したい。好きなことをとことんやってみたい。ギリギリ若気の至りで許されるうちに、ある程度の恥も外聞も捨てて、やりたいことは全部やってみたい。そんな一年にしたいです。

 

はい。とても長くなってしまいました。
ここまで読んでくださった方は、私がどういう人間なのか割とわかったのではないでしょうか(笑)

そんなわけで今年も頑張って参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

袴田巖さんと友達になった日。

お久しぶりです。
長らくサボっていたというか、気付いたらもう年の瀬も年の瀬で、マジ師走~という感じです。

さて、随分前ですが、12月16日土曜日、浜松の「袴田事件がわかる会」(ゲスト:浅野健一さん/ジャーナリスト)に参加する前に、また袴田家にお邪魔させていただきました!

この日は晴れてあたたかく、遠州のからっ風もなし。

11時半ごろ袴田家に到着。
袴田さん支援クラブの猪野待子さんがすぐに、「巖さん、23歳が来たよ!」と声をかける。…私、23歳と呼ばれていたのか(笑)

お昼に天丼をいただくことに。待子さんは忙しそうにすぐに出かけてしまったので、袴田家でひで子さんと巖さんと三人きり。

ひで子さん・巖さんとお昼ごはん。(撮影:猪野待子さん)

ひで子さんは食べるのがものすごく早い!と支援者の方々などは口を揃えて言う。
逆に私は食べるのがものすごく遅くて、いつも一人で取り残されて黙々と食べている。

ひで子さんとお食事させていただくのは初めてなので、そのスピードを楽しみにしていたのだが、まあ早い早い。私がまだ3分の1くらいしか食べていないうちにぺろっと食べ終わっていた。さすがである。

明るくぽかぽかとした袴田家で、ひで子さんと巖さんと三人、のんびりとした時間を過ごす。

興味本位くらいで初公判に行き、袴田事件に関わってまだ2ヶ月も経っていない、支援者と名乗れるのかどうかすら微妙な若造が、なぜか平然と袴田家にいる。なんだか変な感じだなあ~、とたまにふっと我に返って笑いそうになる。

食後、巖さんとお話しさせていただく。

「こんにちは」と声をかけると、はっきりと、「ああ、どうも」と返ってきて驚く。この日の巖さんはお喋りなようだ。

私があれこれ話しかけても、ほとんどすべて返事をしてくださった。
先月お邪魔させていただいた際は全く反応がなかったので、少し心を開いてくれたのかな?それとも単に日によるだけか。

「私のこと覚えていますか?」と聞いたら、「ああ」と頷いてくださった。うれしい!

「巖さんは今おいくつですか?」と尋ねると、「儀式があってな、それで23歳になった」と”儀式”について語り始める。

「私も23歳なんです!同い年ですね!お友達になっていただけませんか?
前回は全く反応がなかったので、ダメ元でまたお願いしてみたのだが、

「いいですよ。」

と、快諾してくださった。
え、本当に!?いいの!?と驚いてしまうくらい呆気なく。

「やった~!!お友達ですね!!」と巖さんの手を取ってぶんぶん振り回した。巖さんは無表情だったが(笑)

お友達記念に写真撮りましょ!とパシャリ。

23歳同士、お友達記念(^^)

あ、ひで子さんもよかったら入ってください!とスリーショットも。

巖さんとひで子さんと

今回もまたお手紙をお渡しした。イラストに何を添えるべきか散々迷った挙句、適当な雪だるまになってしまったが。

今回はお手紙に、「暖流の前には今日も巴川が穏やかに流れています。また清水にも遊びに来てくださいね」と書いてみた。

「暖流」とは、巖さんがこがね味噌に就職する前に経営していたバーの名前である。巖さんの頭の中では、暖流がとても大きくなって繁盛しているらしい。

現在、かつて暖流があった場所は空いていて、内装はお洒落なカフェのようになっている。カウンターは当時から変わっていないらしい。その前には巴川という川が、(あまり綺麗な川ではないが、)一応穏やかには流れている。嘘は書いていない。

事件現場である横砂のほうにはもう行きたくないだろうが、暖流には何度か訪れているようだ。若かりし日の輝かしい思い出があるのだろうか。

巖さんは手紙を手にしてじっと見つめていた。読んでくださったのか、何か感じているのか、表情からは何も読み取れない。しかし、また上着のポケットに手紙をしまってくださった。

勝手な思い込みだとしても、少しは心が通じているような気がする、それだけでとてもうれしい。

しばらくすると、巖さんが急に「出かける」と言って立ち上がり、上着や帽子など身支度をし始める。

見守り隊の一人だと思われたのだろうか。お役に立てず申し訳ないのだが、私には車どころか免許すらない。

慌ててひで子さんに「巖さんが出かけると言っています!」と報告しに行く。ひで子さんが巖さんをなだめて座らせ、見守り隊の方を電話で呼ぶ。巖さんはうずうずして今にも飛び出しそうだ。

「今日はどこに行くのですか」と聞くと、「帝国主義」と答える。何やら「仕事がある」ということらしい。

この頃の行き先は「資本主義」か「帝国主義」が多いようだ。
リクエストはかぐや姫のように難題だが、一緒にお出かけするのは楽しそうなので、そろそろ免許を取ろうかな~と少し考えている。

見守り隊の方が到着し、「わかる会」まで時間があったので私とひで子さんも同乗。浜松駅周辺をぐるりと回る。

巖さんは、車窓をぼんやりと眺めながら、少し楽しそうに見える。私も、少しだけだったが一緒にドライブさせていただけて嬉しかった。

巖さんの目には、ずっと何が映っているのだろうか。何を考えているのだろうか。私はそれが気になって仕方がない。

私は巖さんにお会いしたのはまだ2回だけだし、まだほとんどお話もできていない。専門家でもないし、巖さんの精神状態や拘禁反応についての知識も全くない。

巖さんの言葉はほとんど支離滅裂だったり、ほとんど会話にならない。しかし、きっと巖さんの中では、どれもとても大切なことなのだと思う。だから、巖さんが私に向けて話してくれた言葉は、すべて大切に心にしまっておくようにしている。

拘置所の中で独り。明日にも死刑が執行されるかもしれない。しかも、犯してもいない罪によって。

そんな計り知れない恐怖に打ち克つためには、きっと自我を捨て去ってしまうほかには方法がなかったのだろう。

実際に、そのような状態になってでも、巖さんは生き延びて帰ってきてくれた。仕切りなしで会話することも、実際に身体に触れることも、いくらでも共に穏やかな時間を過ごすこともできるようになった。

だから、私は”今”目の前にいる巖さんの声も表情も、なるべく一つも逃さないように、大事に受け止め、できるだけ寄り添いたいと思っている。

それが「友達」としてできる精一杯のことだと信じて。

・・・・・・・・・・・・

袴田事件がわかる会」での浅野健一さんの講演は、メディアのあり方について当然だと思っていた部分にも、「言われてみればおかしい」と思うことがたくさんあり、大変興味深く拝聴した。

また、これは私が以前から思っていることなのだが、何かあるたびに「マスゴミが~」ととりあえず非難する大衆もまた、いわゆる「マスゴミ」作りに加担しているのではないだろうか。

素晴らしい仕事をされている記者の方も、もちろん一定数いらっしゃる。頭ごなしに非難するのではなく、多くの情報の中から信用できる記者や記事を探すなど、受け取る側のリテラシーも大切だろう。

浅野先生のお話は、また著作も拝読した上で、記事としてまとめたいと思っています。

 

さてそれでは、今年も残すところ二日となってしまいました。
皆様、よいお年をお迎えください。