清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

袴田巖さんと友達になった日。

お久しぶりです。
長らくサボっていたというか、気付いたらもう年の瀬も年の瀬で、マジ師走~という感じです。

さて、随分前ですが、12月16日土曜日、浜松の「袴田事件がわかる会」(ゲスト:浅野健一さん/ジャーナリスト)に参加する前に、また袴田家にお邪魔させていただきました!

この日は晴れてあたたかく、遠州のからっ風もなし。

11時半ごろ袴田家に到着。
袴田さん支援クラブの猪野待子さんがすぐに、「巖さん、23歳が来たよ!」と声をかける。…私、23歳と呼ばれていたのか(笑)

お昼に天丼をいただくことに。待子さんは忙しそうにすぐに出かけてしまったので、袴田家でひで子さんと巖さんと三人きり。

ひで子さん・巖さんとお昼ごはん。(撮影:猪野待子さん)

ひで子さんは食べるのがものすごく早い!と支援者の方々などは口を揃えて言う。
逆に私は食べるのがものすごく遅くて、いつも一人で取り残されて黙々と食べている。

ひで子さんとお食事させていただくのは初めてなので、そのスピードを楽しみにしていたのだが、まあ早い早い。私がまだ3分の1くらいしか食べていないうちにぺろっと食べ終わっていた。さすがである。

明るくぽかぽかとした袴田家で、ひで子さんと巖さんと三人、のんびりとした時間を過ごす。

興味本位くらいで初公判に行き、袴田事件に関わってまだ2ヶ月も経っていない、支援者と名乗れるのかどうかすら微妙な若造が、なぜか平然と袴田家にいる。なんだか変な感じだなあ~、とたまにふっと我に返って笑いそうになる。

食後、巖さんとお話しさせていただく。

「こんにちは」と声をかけると、はっきりと、「ああ、どうも」と返ってきて驚く。この日の巖さんはお喋りなようだ。

私があれこれ話しかけても、ほとんどすべて返事をしてくださった。
先月お邪魔させていただいた際は全く反応がなかったので、少し心を開いてくれたのかな?それとも単に日によるだけか。

「私のこと覚えていますか?」と聞いたら、「ああ」と頷いてくださった。うれしい!

「巖さんは今おいくつですか?」と尋ねると、「儀式があってな、それで23歳になった」と”儀式”について語り始める。

「私も23歳なんです!同い年ですね!お友達になっていただけませんか?
前回は全く反応がなかったので、ダメ元でまたお願いしてみたのだが、

「いいですよ。」

と、快諾してくださった。
え、本当に!?いいの!?と驚いてしまうくらい呆気なく。

「やった~!!お友達ですね!!」と巖さんの手を取ってぶんぶん振り回した。巖さんは無表情だったが(笑)

お友達記念に写真撮りましょ!とパシャリ。

23歳同士、お友達記念(^^)

あ、ひで子さんもよかったら入ってください!とスリーショットも。

巖さんとひで子さんと

今回もまたお手紙をお渡しした。イラストに何を添えるべきか散々迷った挙句、適当な雪だるまになってしまったが。

今回はお手紙に、「暖流の前には今日も巴川が穏やかに流れています。また清水にも遊びに来てくださいね」と書いてみた。

「暖流」とは、巖さんがこがね味噌に就職する前に経営していたバーの名前である。巖さんの頭の中では、暖流がとても大きくなって繁盛しているらしい。

現在、かつて暖流があった場所は空いていて、内装はお洒落なカフェのようになっている。カウンターは当時から変わっていないらしい。その前には巴川という川が、(あまり綺麗な川ではないが、)一応穏やかには流れている。嘘は書いていない。

事件現場である横砂のほうにはもう行きたくないだろうが、暖流には何度か訪れているようだ。若かりし日の輝かしい思い出があるのだろうか。

巖さんは手紙を手にしてじっと見つめていた。読んでくださったのか、何か感じているのか、表情からは何も読み取れない。しかし、また上着のポケットに手紙をしまってくださった。

勝手な思い込みだとしても、少しは心が通じているような気がする、それだけでとてもうれしい。

しばらくすると、巖さんが急に「出かける」と言って立ち上がり、上着や帽子など身支度をし始める。

見守り隊の一人だと思われたのだろうか。お役に立てず申し訳ないのだが、私には車どころか免許すらない。

慌ててひで子さんに「巖さんが出かけると言っています!」と報告しに行く。ひで子さんが巖さんをなだめて座らせ、見守り隊の方を電話で呼ぶ。巖さんはうずうずして今にも飛び出しそうだ。

「今日はどこに行くのですか」と聞くと、「帝国主義」と答える。何やら「仕事がある」ということらしい。

この頃の行き先は「資本主義」か「帝国主義」が多いようだ。
リクエストはかぐや姫のように難題だが、一緒にお出かけするのは楽しそうなので、そろそろ免許を取ろうかな~と少し考えている。

見守り隊の方が到着し、「わかる会」まで時間があったので私とひで子さんも同乗。浜松駅周辺をぐるりと回る。

巖さんは、車窓をぼんやりと眺めながら、少し楽しそうに見える。私も、少しだけだったが一緒にドライブさせていただけて嬉しかった。

巖さんの目には、ずっと何が映っているのだろうか。何を考えているのだろうか。私はそれが気になって仕方がない。

私は巖さんにお会いしたのはまだ2回だけだし、まだほとんどお話もできていない。専門家でもないし、巖さんの精神状態や拘禁反応についての知識も全くない。

巖さんの言葉はほとんど支離滅裂だったり、ほとんど会話にならない。しかし、きっと巖さんの中では、どれもとても大切なことなのだと思う。だから、巖さんが私に向けて話してくれた言葉は、すべて大切に心にしまっておくようにしている。

拘置所の中で独り。明日にも死刑が執行されるかもしれない。しかも、犯してもいない罪によって。

そんな計り知れない恐怖に打ち克つためには、きっと自我を捨て去ってしまうほかには方法がなかったのだろう。

実際に、そのような状態になってでも、巖さんは生き延びて帰ってきてくれた。仕切りなしで会話することも、実際に身体に触れることも、いくらでも共に穏やかな時間を過ごすこともできるようになった。

だから、私は”今”目の前にいる巖さんの声も表情も、なるべく一つも逃さないように、大事に受け止め、できるだけ寄り添いたいと思っている。

それが「友達」としてできる精一杯のことだと信じて。

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袴田事件がわかる会」での浅野健一さんの講演は、メディアのあり方について当然だと思っていた部分にも、「言われてみればおかしい」と思うことがたくさんあり、大変興味深く拝聴した。

また、これは私が以前から思っていることなのだが、何かあるたびに「マスゴミが~」ととりあえず非難する大衆もまた、いわゆる「マスゴミ」作りに加担しているのではないだろうか。

素晴らしい仕事をされている記者の方も、もちろん一定数いらっしゃる。頭ごなしに非難するのではなく、多くの情報の中から信用できる記者や記事を探すなど、受け取る側のリテラシーも大切だろう。

浅野先生のお話は、また著作も拝読した上で、記事としてまとめたいと思っています。

 

さてそれでは、今年も残すところ二日となってしまいました。
皆様、よいお年をお迎えください。