清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

清水生まれの私と「袴田事件」:自己紹介とこのブログについて

袴田事件」についてご存じだろうか。

おそらく大半の人があまり詳しくは知らないだろう。すでに無罪になった冤罪事件だと思っている人も多いかもしれない。

事件現場の近く、静岡県の清水で生まれ育った私も、つい最近までこの事件のことなど何も知らずに生きてきた。

袴田さんが釈放された2014年当時、私は中学1年生で、はっきりした記憶はない。近くで起こった事件だと知ってはいたが、おそらくほかの四つの死刑冤罪事件と同列にしていたと思う。

それほど、袴田事件は私にとって近いようで遥か遠い事件だった。

私は2000年生まれの現在23歳。
昨年度大学を卒業、今はフリーライターをしている。
...なんてかなり大袈裟に言っているだけで、実際は実家暮らしの無職。ほとんどは寝っ転がって生きている。

2003年、エスパルスドリームプラザにて。

2023年3月、袴田事件の再審開始が決定した。

静岡地裁で開かれるなら近いから行ってみようかな。
そんな軽い気持ちで、とりあえず予習のために関連する書籍を読み始めた。
私はすぐに、何も知らなかったことを恥じることになった。

事件の概要だけざっくりとまとめればこのようなものだ。

袴田事件」とは
・1966年6月30日、静岡県清水市横砂(現静岡市清水区)で一家四人が殺害された、強盗殺人・放火事件。
・逮捕された袴田巖(当時30)が犯行を自白、1980年に死刑判決が確定した。
・裁判で袴田は一貫して無実を主張。検察の違法な取調べによる自白、証拠捏造の疑惑があり、長い間冤罪が疑われてきた。
・2014年3月に釈放、2023年3月に再審開始が確定、10月から再審公判が始まる。

ずさんな捜査に過酷な取調べ、検察側の矛盾した論理展開や捏造……、素人目線から見ても、この事件、語ろうと思えばキリがないほどおかしな点が多すぎる。

取調べの記録を見ただけでも想像を絶する。
20日以上にわたって、毎日平均12時間ほど、最長だと16時間以上の取調べが続いている。しかも炎天下で、トイレにも行かせてもらえず、十分な睡眠も取れないままで。聞いただけでも気が狂いそうになる。

ほかの詳しいことはとりあえずここでは省かせていただく。軽く知りたい方はwikiを、もっと深く知りたい方は支援団体のホームページなどを覗いてみてほしい。

事件から今年で57年になる。
逮捕当時30歳だった袴田さんは87歳になってしまった。

再審が開始されるまでに、多くの支援団体や弁護団、袴田さんの姉ひで子さんなどによる、半世紀にもわたる血のにじむような努力があった。再審初公判の日、実際にその方たちの有り余るエネルギーをこの眼で見て、私は居ても立っても居られない気持ちになった。

袴田さんとその周りの方々のために、私にも何かできることはないか。
清水の人間として、若い世代として、何か力になれないか。
そのような思いから、これから事件を追いながら、拙いながらも自分の言葉で発信していくことを決めた。

まずはこの事件のことを多くの人に知ってほしい。袴田さんの獄中からの叫びを、ずっと闘ってきた方々の咆哮を、聴いてほしい。

そのようなわけで、このブログで今後の公判や支援活動のこと、事件と関わるなかで感じたことなどを上げていく予定です。多くの方、特に若い方や、静岡県民・市民に関心を持っていただくきっかけになれば幸いです。

それでは、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。