清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの23歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

《0からわかる!》袴田事件ってどんな事件?

こんにちは。
やっとこたつでぬくぬくと書くようになりました。

さて今回は、袴田事件についてあまりよく知らない方向けに、改めて解説しよう!という記事です。

よく知っている方は再確認していただいて、ぜひ拡散お願いします!

そもそも私がブログを始めたのは、袴田事件に興味がない人に向けてもっと発信したい!という思いからだったのですが、おそらく多くの人から見たらちんぷんかんぷんであろう傍聴記などを書いているうちに、当初の目的とはだんだんずれてしまっていました(笑)

今回は「袴田事件」ってそもそもどういう事件だったの?なぜ冤罪と言われているの?今はどういう状況なの?など、私の知る範囲内ですが、なるべく簡潔に、客観的に解説していきます!

偉そうに言うとりますが、私もつい最近まで、漠然と「袴田事件=冤罪」というイメージを持っているだけで、事件の詳細など何も知りませんでした。

再審が始まるということでいろいろと調べ始めて、「これはひどい」と思い、なんやかんやで今に至ります。

この記事を読んで同じように感じたら、心の隅だけでもいいので、「袴田事件」を応援してくださったら嬉しいです。
事件に関心を持つ、調べる、そっと応援する、それだけでも立派な支援活動だと私は思うのです。

また、もっと知りたい!という方は、下のほうにリンクや書籍などまとめてあるので、ぜひチェックしてみてください。

それでは、「袴田事件」について説明していきます。

事件の概要

1966年6月30日午前2時すぎ、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社「こがね味噌」専務の自宅で火災が発生。
焼け跡からは、専務(41)と、その妻(39)、次女(17)、長男(14)の4人の焼死体が発見された。
4人の遺体には、それぞれ10箇所前後、計40箇所以上の刺し傷があった。
また被害者宅にあったはずの現金の一部が発見されなかった。

事件現場である専務宅表口

8月18日、「こがね味噌」従業員で工場の寮に住んでいた元プロボクサーの袴田巖さん(当時30歳)を強盗殺人・放火容疑で逮捕。袴田さんは否認を続けていたが、後に犯行を自白。

裁判では「自白は強要されたもの」だとして全面否認するも、1980年に最高裁で死刑が確定。

1981年から再審請求審が始まり、2014年に釈放(しかし今も死刑囚のまま)。
2023年3月に再審開始確定、10月から再審公判開始。

現在、事件発生から57年、死刑確定からは43年経っている。
袴田さんは現在87歳で、姉のひで子さん(90)と一緒に暮らしている。
死刑確定後に発症した「拘禁反応」と呼ばれる精神障害は治らず、今も妄想の世界を生きている。

経過

事件発生から逮捕、起訴

1966年
6月30日 事件発生

7月4日 「こがね味噌」内の捜索が行われ、寮の袴田さんの部屋から、(肉眼では見えないほどの)小さな茶色い染みのついたパジャマを発見、任意提出。(血痕とは断定できていない

(→7月4日付の新聞社各紙の夕刊で「血染めのパジャマ」という表現とともに、「従業員H」の名前が報じられる。その後も、袴田さんに焦点を絞った捜査や、名指しの報道が続く。)

8月18日 袴田さん任意出頭、取調べ(14時間15分)、強盗殺人・放火容疑で逮捕
8月19日 取調べ(10時間30分)
8月20日 取調べ(7時間23分)
8月21日 取調べ(6時間5分)
8月22日 取調べ(12時間11分)
8月23日 取調べ(12時間50分)
8月24日 取調べ(12時間7分)
8月25日 取調べ(12時間25分)
8月26日 取調べ(12時間26分)
8月27日 取調べ(13時間17分)
8月28日 取調べ(12時間32分)
8月29日 取調べ(7時間19分)
8月30日 取調べ(12時間47分)
8月31日 取調べ(9時間32分)
9月1日 取調べ(13時間18分)
9月2日 取調べ(9時間15分)
9月3日 取調べ(9時間50分)
9月4日 取調べ(16時間20分
9月5日 取調べ(12時間50分)
9月6日 取調べ(14時間40分)自白開始
9月7日 取調べ(11時間30分)
9月8日   取調べ(11時間50分)
9月9日 取調べ(14時間)住居侵入、強盗殺人、放火の罪で起訴

袴田さんが自白に至るまでの取調べ時間は平均約12時間、長いときは16時間以上
猛暑の中で、トイレにも行かせてもらえず、睡眠もろくにとれなかったらしい。
また弁護人との接見も3回のみ、ほんのわずかな時間しか行えていない。

自白調書の概要

後の裁判で45通の自白調書が提出されるが、証拠として採用されたのは9月9日付の1通のみである。ここではその内容をざっくりとまとめておく。
(下線部分は後でまた説明します)

・6月30日の深夜1時半頃、金を盗むために、パジャマを着てくり小刀を持って、上から工場にあった雨合羽を着て侵入。
起きてきた専務に見つかったのでくり小刀で刺し、次女、長男、妻も刺す。
・途中で妻が投げてよこした金袋3つほどを持って、裏木戸から出て、線路を渡って工場に戻る。
工場にあった混合油をポリ樽に移して運び、再び専務宅に侵入、油をかけてマッチで放火。
・裏口のほうで手に持っていた金袋のことを思い出したが、1つしかなくなっていたので、中から札だけとって、再び裏木戸から逃走して工場に戻った。

裁判

1966年 11月、第一審(静岡地裁)開始 袴田さんは全面否認
1967年 8月、工場のみそタンク内から、血痕のついた「5点の衣類」が発見される
1968年 静岡地裁が死刑判決
1976年 東京高裁が控訴棄却
1980年 最高裁が上告棄却→死刑確定

再審請求審

1981年 第一次再審請求
1994年 静岡地裁が再審請求棄却
2004年 東京高裁が即時抗告棄却
2008年 最高裁が特別抗告棄却
 第二次再審請求(請求人は姉のひで子さん)
2014年 静岡地裁「再審開始、死刑及び拘置の執行停止」を決定釈放
2018年 東京高裁が再審請求棄却
2020年 最高裁が東京高裁に審理を差し戻し
2023年 3月、東京高裁が再審開始決定→確定
 10月から静岡地裁にて再審公判開始(2024年夏ごろ判決の予定)

第一次再審請求審だけで27年もかかり、死刑確定から43年経って、やっと再審が始まった。

再審手続きの規定は明確に定められておらず、また検察による不服申し立てが認められているために、再審請求審はこんなにも長引いてしまう。

しかし、2014年に静岡地裁が、再審開始に加えて死刑及び拘置の執行停止(=釈放)を決定したのは異例の判断!
しかも決定文で「ねつ造」という言葉を用いているのも初めてである(ほかの冤罪事件では「工作」などと濁されてきた)。

冤罪疑惑

さて、ここから冤罪だと言われている点を、大きなものだけ、なるべく簡潔に説明していきます。(ほかにも矛盾だらけで、語り始めたらキリがない)

自白の信用性

上に書いたように、自白までの取調べは1日平均約12時間に及び、ほとんど拷問のようなものであった。警察が威圧的に自白を迫っている生々しい録音テープも見つかっている。

また自白調書は45通も作られているが、その内容は変遷も多くて不自然な部分がある。裁判ではその自白調書のうち44通は除外されたのに、1枚だけはなぜか証拠として採用されたのである。

その調書を踏まえて下の項目を解説していくので、内容を再度書いておく。

・6月30日の深夜1時半頃、金を盗むために、パジャマを着てくり小刀を持って、上から工場にあった雨合羽を着て侵入。
起きてきた専務に見つかったのでくり小刀で刺し、次女、長男、妻も刺す。
・途中で妻が投げてよこした金袋3つほどを持って、裏木戸から出て、線路を渡って工場に戻る。
工場にあった混合油をポリ樽に移して運び、再び専務宅に侵入、油をかけてマッチで放火。
・裏口のほうで手に持っていた金袋のことを思い出したが、1つしかなくなっていたので、中から札だけとって、再び裏木戸から逃走して工場に戻った。

凶器はくり小刀

まず素朴な疑惑からいこう。
くり小刀という工作用の小刀一本で、4人を計40箇所も刺すことができるのだろうか。

事件現場で発見されたくり小刀の刃体

写真を見てもわかる通り、刃渡り12㎝ほどの小さなものである。
第2回公判で実物を見たが、おもちゃのような印象だった。

また解剖の結果、遺体にはこのくり小刀では作れない傷もあるし、肋骨まで切れている

目的は強盗

この事件は強盗目的であり、8万円ほどが奪われたとされている。

袴田さんには、急にお金が必要な理由も、特にお金に困っている様子もなかった。

また、被害者宅には多くの金銭や貴金属が手つかずのまま残されていた。
現金や小切手が数十万円ずつ、預金通帳の総額は1000万円近く、高価なアクセサリーなども大量。

4人もの殺害というリスクを冒してまで、大金には目もくれず数万円だけ盗っていく強盗がいるだろうか。
動機は強盗ではなく怨恨だと考えるのが自然ではないだろうか。

しかも、奪ったとされる現金のうち5万円は知人の女性に預けたとされ、それが匿名で警察署宛に投函されたものが、9月13日という起訴直後のタイムリーなときに発見されているのである。

犯行時刻

自白では、専務宅に侵入した時間は午前1時半頃で、一家は寝ていたとしている。

しかし、被害者4人は、腕時計や宝石のついた指輪をつけていたり、胸ポケットにペンを差していたりと、寝ていたとは思えない格好をしている。

事件前の22時10分頃、祖父母宅で生活していた専務の長女が自宅のシャッターを叩いたところ、中から父親らしき声が聞こえたがシャッターは開けてもらえなかったという。

このとき、すでに犯人が中にいた可能性はないのだろうか。

一方袴田さんには、22時半頃まで従業員とテレビを見ていたというアリバイがある。

犯人が侵入した時間は何時なのだろうか。

単独犯?

そもそも、たった一人で、しかもくり小刀一本で、4人を殺害できるだろうか。

被害者4人にはそれぞれ10個前後の傷がある。一人が刺されている間、他の家族は逃げたり反撃したりしなかったのだろうか。

被害者の傷は同じ場所に集中していて、手で刃物を防いだような傷もない。

また被害者宅は両隣の家と接近している(下図の通り)のにもかかわらず、誰も物音や叫び声を聞いていない。

つまり、被害者は抵抗できない状態だったのではないかと考えられる。

被害者宅周辺の地図(手書きなので線がガタガタです)

裏木戸から逃走

ここでも上の図を見てほしい。

自白調書で「裏木戸から逃げた」とされているのは、被害者宅と工場の位置関係からして、工場の人間なら当然裏木戸から出るからである。

しかし、裏木戸には閂がかかっていた
そして火災発生後に消火活動を行った人々によれば、表口のシャッターに鍵はかかっていなかった

この事実から見れば、表口から逃げたとするのが当然なのだが、検察は「閂がかかった状態で裏木戸をこじ開けて逃げた」と主張し続けていた。

それを裏付けるように、奪った金袋2つは、裏木戸から工場の間に落ちていたとされる。

「裏木戸」と「金袋」は、事件と工場を結びつける重要な証拠だったのである。

しかし、果たして裏木戸からの逃走が可能なのか、金袋は犯人が落としたものなのか。

雨合羽と鞘

検察は、被害者宅の中庭に工場の雨合羽が落ちていて、その右ポケットにくり小刀の鞘が入っていたと主張する。

自白調書では犯行着衣はパジャマであり、「パジャマが白っぽくて人目につくと思ったから工場にあった雨合羽を着て行き、犯行前に中庭で脱ぎ捨てた」とされている。

しかし、詳細は後述するが、犯行着衣はパジャマではなく5点の衣類上下黒っぽい)であると、検察は途中から主張を変更した。

そうなると、重くてガサガサと音の鳴る雨合羽を、しかもこの日は熱帯夜であったのに、着る理由が消える。

また、消火の際に工場の従業員が雨合羽を着ていたことが確認されている。
雨合羽の下に焼けたガラスなどが落ちていたという実況見分調書もある。

雨合羽と鞘は、凶器(くり小刀)と工場を直接結びつける重大な証拠になりうるが、果たして、火災前からここに落ちていたのだろうか。

5点の衣類のねつ造疑惑

さあ、満を持して、5点の衣類について。

事件から1年2ヶ月経った1967年8月31日、従業員が工場のみそタンクの中から血痕のついた5点の衣類を発見し通報。検察はすぐに犯行着衣をパジャマから5点の衣類に変更した。

5点の衣類とは、ねずみ色スポーツシャツ、白半袖シャツ、鉄紺色ズボン、白ステテコ、緑色ブリーフで、麻袋に入った状態で味噌に漬かっていた。

従業員であった袴田さんが、遅かれ早かれ発見されるみそタンクの中に、犯行着衣を隠そうという発想になるだろうか。みそタンクの斜め向かいには、衣類を焼き捨てるのに絶好のボイラー室もあった。

袴田さんは、似たようなものは持っているが、自分のものではないと主張。
ズボンにクリーニング屋が入れたはずの名前も入っていない。

実際にズボンの着用実験も行ったが、太ももすら入らなかった
ズボンのタグには「B」と表記があり、検察はこれを大きいサイズを表す記号だとして、「味噌に漬かって縮んだだけで犯行当時は穿けた」と主張し、裁判所もそれを認めた。

しかし、ズボンの製造会社は、初めから「B」は色を表すと言っており、検察はそれを誤認していたか、あるいは隠ぺいしていた。

また、事件から5日後の7月4日、警察はみそ工場内の捜索を行っていて、当然タンクの中も見るはずだが、衣類は発見されていない
このときのタンク内の味噌の残量は、高さ数センチ~十数センチほどと思われ、衣類があれば確実に気付くはずである。

となると、捜索が行われた7月4日から仕込みが行われた7月20日の間に隠された可能性はあるが、すでに警察が袴田さんを徹底的にマークしている時期であり、果たしてそんな大胆な行動に出るだろうか。

ここで注目したいのが衣類の色である。

検察が提出した5点の衣類の写真

実はこの写真は、再審請求審の中で比較的最近になってやっと開示されたもので、昔の裁判で見せられていた写真はもう少し茶色いものだった。

「1年2ヶ月味噌に漬かっていたにしては衣類が白すぎるのではないか?」という素朴な疑問を抱いた支援者が、血痕をつけた衣類を味噌に漬ける実験を行った。

袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎さんである。とにかくパワフルな物凄い方だ。

これが実際に1年2ヶ月味噌漬けにした衣類である。

1年2ヶ月味噌漬け実験報告書 | 袴田事件弁護団ホームページから引用

1年2ヶ月味噌漬け実験の結果

衣類は真っ黒に染まり、一目見て血痕だとは判断できない

比較して見ると、検察の写真の衣類は白すぎて、1年2ヶ月も味噌に漬かっていたようには到底見えないのがわかる。
となると、いつ、誰が、タンクに衣類を入れたのか。

支援者によるこの実験が証拠として認められ、再審開始決定に大いに貢献したのである。一般人の実験が証拠になるのは異例のことだ。

もう一つ、再審開始に貢献したのはDNA鑑定である。

検察が5点の衣類を犯行着衣としている証拠は、付着している血痕の血液型が被害者と一致しているからという点だ。

しかし、DNA鑑定の結果、5点の衣類についた血痕と、袴田さん、被害者4人のDNA型は誰も一致しなかったのである。

再審公判

再審公判は、10月27日に初公判、11月10日に第2回公判、11月20日に第3回公判をすでに終え、年内は、12月11日、12月20日の2回が決まっている。
来年の夏くらいに判決の予定である。

初公判では、検察側、弁護側がそれぞれ冒頭陳述を行った。

検察側の主張

①犯人がみそ工場関係者であることが強く推認される上、証拠から推認される犯人の事件当時の行動を被告人が取ることが可能であったこと

凶器はくり小刀で、被害者宅に落ちていた工場の雨合羽のポケットに鞘が入っていたこと、工場にあった混合油が放火に使われたことなどから、犯人はみそ工場関係者である。

②みそ工場の醸造タンクから発見された5点の衣類が被告人が犯行時に着用し、事件後に同タンクに隠ぺいしたものであること

5点の衣類は犯行着衣であり、かつ袴田さんのものである。ねつ造はしていない

③被告人が犯人であることを裏付けるその他の事情が存在すること

袴田さんが左手中指に傷を負っていることなど。(本人は消火の際にできた傷と主張していた)

弁護側の主張

・犯人は外部の複数犯で、動機は怨恨

袴田さんが一人で4人を殺害するのは不可能。多くの現金や貴金属が残っていたので強盗ではない。

・犯人は工場関係者だという証拠のねつ造

工場の雨合羽に鞘が入っていたことや、金袋が裏木戸付近に落ちていたことは、ねつ造の可能性がある。

・虚偽のパジャマの鑑定

当時の技術では、肉眼で見えないほどの血痕で血液型鑑定をするのは不可能だったし、鑑定結果が出る前にすでに「血染めのパジャマ」という報道がされたのは、虚偽の情報をリークしたからである。

・5点の衣類のねつ造

DNA鑑定や衣類の色などから、5点の衣類がねつ造であることは明らか。

・袴田さんは無罪!

今後の争点

初公判では検察の主張①の立証、第2回公判は弁護側の反証、第3回公判は検察の主張②の立証が行われた。

次の第4回公判では、検察の主張②の立証の続きと、弁護側反証が行われる。

やはり、一番の争点は「5点の衣類」はねつ造かどうかだろう。

検察側は、衣類の色については「血痕に赤みが残る場合がある」という鑑定で反論。DNA鑑定結果の信用性については次回争うようだ。

弁護側は、矛盾点を一つずつ指摘し、ねつ造という方向を目指す。

検察側の、事件の概要的な部分に関する主張は、以前の裁判とほとんど変わらない。

しかし検察は、再審では自白は用いないことにした。

そのため、自白のみに頼っていた部分、例えば動機だったり、侵入経路、奪った金の行方など、今まで以上に矛盾点や曖昧に濁さざるを得ない部分が多くなったようだ。

今後の裁判の流れははっきりとはわからないが、一刻も早く真相が解明され、袴田さんに真の自由が訪れることを願うばかりである。

もっとくわしく

さて、いかがでしたでしょうか。

できるだけわかりやすく説明したつもりなのですが、説明が足りなかったり、逆に多すぎたり、わかりにくかったらすみません。

これをきっかけに、袴田事件に関心を持ってくださる方が増えたら、私にとって一番の幸せです。

もっと詳しく知りたい方へ、見るべきサイトや読むべき書籍をまとめます。
私もまだまだ勉強中の身なので、紹介できていないものもあると思いますが悪しからず……。

リンク集

袴田事件弁護団

弁護団の公式ホームページ。弁護側の主張や証拠など、ここから見ることができる。

袴田さん支援クラブ | 袴田巖さんに再審無罪を!

袴田事件についての情報を見るならここ。また、第三土曜日には浜松で「袴田事件がわかる会」を開催していて、毎回ビッグゲストがいらっしゃるので告知を要チェック。

袴田巖さんに無罪判決を! 【袴田事件】 - YouTube

「袴田さん支援クラブ」が運営されているYouTubeチャンネル。勉強になる長めの動画もあり、わかりやすいショート動画もあり。ぜひチャンネル登録よろしくお願いします!

袴田家物語

袴田さんの自宅に通って支援をし続けている猪野待子さんによるブログ。巖さんとひで子さんの微笑ましい日常を見ることができる。

裁判例結果詳細 | 裁判所 - Courts in Japan

2014年に静岡地裁が出した再審開始決定の全文がPDFで読める。かなりのボリュームだが興味がある方はぜひ。67ページ、結論の中で「5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によってねつ造された疑いが相当程度あり」などと警察・検察をはっきりと非難する部分がある。

書籍等

他にもたくさんありますが、私が読んだものだけ紹介します。

・山本徹美『袴田事件ー冤罪・強盗殺人事件の深層』(プレジデント社、2014年)

私が袴田事件にのめり込むきっかけになった本。事件の詳細と矛盾点が事細かに挙げられている。この記事を書くのにも参考にさせていただいた。

・いのまちこ編『デコちゃんが行く』(静岡出版社、2020年)

姉の袴田ひで子さんの半生と、袴田事件の流れがよくわかる、泣いて笑える傑作漫画!

袴田巌さんを救う会編『主よ、いつまでですか』(新教出版社、1992年)

巖さんの獄中書簡集。繊細な表現力や、家族に対する気遣い……これが殺人犯の手紙だろうか?と誰もが思うような美しい文章が並ぶ。

浜田寿美男袴田事件の謎ー取調べ録音テープが語る事実』(岩波書店、2020年)

心理学者の著者による、取調べテープの書き起こしと丁寧な分析。録音を聞くだけでも威圧感はよく伝わるのだが、専門家による解説を読むと、取調べの異常さがより体感できる。

・尾形誠規『完全版 袴田事件を裁いた男ー無罪を確信しながら死刑判決文を書いた元エリート裁判官・熊本典道の転落』(朝日新聞出版、2023年)

第一審の死刑判決の際、実は3人の裁判官の中で1人だけ無罪を確信していた裁判官がいた。しかし多数決で負けて死刑判決文を書かされ、その罪悪感から転落していく。無実なのに死刑になる苦悩はもちろんのこと、無実の人を死刑にする側の苦悩についても考えさせられる。

今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事をきっかけに袴田事件に関心を持ってくれる方が一人でもいますように、と願いを込めて公開。

【傍聴記】第3回公判:冤罪はこうやって作られる?【袴田事件再審】

2023年11月20日(月)、静岡地裁にて、袴田事件再審第3回公判。
3回目ともなれば、裁判所通いも慣れたものである。

整理券を貰ってから、すっかり顔見知りになってきた支援者の方々に挨拶をさせていただく。

前回はあいにくの雨だったが、この日は見事に快晴。
支援者たちも意気揚々である。

9:00頃、静岡地裁前。いいお天気。

9:45 当選番号発表

見事当選!

今のところ勝率は2/3。
今回は27席に対して108人が並んだということで、倍率はぴったり4倍。なかなかの強運である。

5460、発見!当たり!

さて、というわけで、今回も傍聴記を書いていきます。

今回は検察側からの「5点の衣類」についての立証ということで、どんな論理を展開してくるのか、鼻で笑ってやろうと楽しみにしていたのだが……、ほとんどうまくついていけなかった。

いや、理解ができなかったわけではない。一応事件の知識はそれなりにはあるので、一つ一つが明らかにおかしいことはわかる。

しかし、検察官に堂々とした態度で捲し立てられると、何だか全体としての一貫性や説得力を感じて、“検察がそんなことをするはずがない”という言い分をすっと納得してしまいそうになるのである。

だんだん検察側のペースに乗せられ、反論する気力すら奪われ、何だかパラレルワールドに迷い込んでしまったかのように、どんどん気が狂っていく。

しかも、法廷内はずっと蒸し風呂のような暑さ。閉廷まで耐えただけでも自分を褒めたい。

今メモを読めばいろいろと指摘できるのだが、法廷内では何が何だかわからなかった。これはあの場にいた人にしかわからない感覚だと思う。
これが検察の底力なのだろうか。

これを毎日取調室で続けられたら自白してしまうなと思った。
重要なのは内容ではなく、検察官という威厳だけで充分なのかもしれない。

こうやって冤罪が作られていくのかもしれないな…とぼんやりとした頭でずっと考えていた。

それではここから傍聴記です、どうぞ。

 

袴田事件再審第3回公判傍聴記】

11:00 開廷

法廷の様子のらくがき

検察官は前回同様、(イラスト奥から)神経質そうなメガネの男性、目がぎょろっとしたメガネの男性、若い華奢な女性の3人。

弁護団はおそらく13人+ひで子さん。

検察側冒頭陳述

神経質そうなほうのメガネの男性検事が、淡々と文面を読み上げていく。

今回の主張は「みそ工場の1号タンクから(事件から1年2カ月後に)見つかった5点の衣類は、被告人が犯行時に着用し、犯行後にみそタンクに隠したものである」ということ。

1年2カ月間もの間発見されなかった理由は、タンク内は薄暗く、ビニールシートが被せてあったために「誰も気付き得ない」上に、また工場側からの強い要請によって「みその中までは調べていない」、ということである。

そして今回の主張の概要は、

(1)5点の衣類が犯行着衣である

(2)5点の衣類は被告人のものである

(3)被告人が犯行時に5点の衣類を着用していた

(4)被告人が5点の衣類をみそタンクの中に隠した

(5)5点の衣類がねつ造だという弁護側の主張は非現実的で実行不可能

の5点。

(1)5点の衣類が犯行着衣である

検察側の主張は、

①血の付き方や破れ方が自然

②血液型が被害者と合っている(一番抵抗されたであろう専務の血液型であるA型が多くついている~など)

だけ……?

ここが一番重要な部分だと思うのだが、驚くほどあっさりと終わった。

(2)5点の衣類は被告人のものである

①袴田さんの衣類に酷似している

衣類を1点ずつ取り上げて、従業員らが証言する特徴との比較や、製造元や販売店など購入ルートなどを長々と説明していた。

「酷似している」からといって、「袴田さんのものである」証拠には全くならないのに。

②袴田さんの実家から共布(ズボンの裾を切り取った布)が見つかった

袴田さんの母・袴田ともさんの証言が都合よく使われていた。

警察が共布を見せたとき、ともさんは「巖のものだと思う」と説明している。
見覚えのないものが巖さんの荷物の中から出てきたと言われたのなら、そう答える以外にない。

にもかかわらず、確定審でともさんが「はっきり覚えていない」と証言したことを、嘘をついているかのように説明した。

そもそも、共布が本当に実家にあったとしても、ズボンが袴田さんのものである証拠がない以上はこの共布も袴田さんと結びつかないのであるが。

③緑色パンツは袴田さんの母親が買ったものである

見つかった緑色パンツは「ムーンライト」という商品名のものである可能性が高く、母親の袴田ともさんは、緑色のパンツを「清水屋」で購入して巖さんに送ったことがあり、「清水屋」は「ムーンライト」を扱っていたため、これは「ムーンライト」である可能性が高い……とのこと。

「ムーンライト」と「可能性」の話ばかりしていた。
ブリーフに「ムーンライト」って、小洒落てるなあ。

④事件後に誰もこの衣類を見ていない

実は緑色パンツは、事件後に実家に送られてきた衣類の中に入っていて、次兄が弁護士を通じて差し入れしようとしたところ断られ、家で保管していたのである。

それを確定審では証拠として提出したのだが、また次兄が質問にうまく答えられなかったとして「信用性がない」と切り捨てた。

5点の衣類の一つとして緑色のパンツが報道に出たときに、次兄と母親、姉のひで子さんらは、これで無罪になると喜んだのだが、結局未だに嘘だと言われているのである。

また他の5点の衣類は証拠として提出されていないことや、従業員が事件後にこれらの衣類を見ていないという証言を理由に挙げた。

◎12:05 休廷

すでにとんでもなく疲れ切っていてふらふらする。
今回は地裁近くのレトロな喫茶店でカレーをいただく。ごちそうさまでした。

◎13:10 再開

(3)被告人が犯行時に5点の衣類を着用していた

「シャツの右肩に血痕と穴がある」こと、「袴田さんが右肩を怪我していた」ことからも、被告人が犯行時に着ていたと言えるとのこと。

〈争点〉として、上に着ていたシャツの穴は一つで下に着ていた半袖シャツの穴は二つである点や、穴の位置が合っていないと弁護側が主張している点を挙げて、〈留意点〉として様々な場合があるから不自然ではない、むしろ弁護人は物事を単純化している、と切り捨てる。

また、元々犯行着衣とされていたパジャマの右肩にも穴と血液反応があるという指摘に対しての〈留意点〉で、被告人が怪我の位置に合わせてわざと穴を開けた可能性もある、だとか。

え、それは暴論すぎないか?

あとあの、最初から「争点と留意点」のコーナーあったんですけど、「留意点」って何なんですかね?

(4)被告人が5点の衣類をみそタンクの中に隠した

事件後に5点の衣類をみそ工場内で隠す必要性に迫られたとき、袴田さんが自分の作業スペースであったみそタンク内に隠すことは「自然な発想」だと言うのである。

え!?いつかは絶対に見つかるみそタンク内に隠すのが自然な発想!?
しかも近くにはボイラー室があったのに……?

そしてまた争点と留意点のコーナー。

事件当時の1号タンクのみその量について、弁護側は80kgと言うが、実際は160kgか200kg、少なくとも衣類を隠すのが可能なほどはあったという。

このタンクには、8トン以上のみそが入るので、80kgも200kgも誤差みたいなものだと思うのだが。

また事件後の7月4日の警察の捜索で発見されていたはずだという点は、隠された時期が7月4日から仕込みが行われた7月20日までである可能性もあること、捜索の際に工場側からみその中は捜索しないでほしい、上から見るだけでいい、と強く要請されたことを挙げる。

そんなことあるのかなあ。

(5)5点の衣類がねつ造だという弁護側の主張は非現実的で実行不可能

やはりここに一番力が入っていてボリュームはたっぷり。
ある程度納得はできる言い分なのだが、綺麗に言葉だけを並べていて、薄っぺらい……という印象。

ほとんどが「もしねつ造なのだとしたら」という仮定のもとに話されている。

偏見かもしれないが、「したかどうか」に対して「仮にしたとすれば~」と答える人はだいたい嘘つき。
あと「わざわざそんなことする理由がない」って言う人もだいたい嘘つき。
※あくまで偏見です。

まず、弁護側のDNA鑑定は信用できないこと、衣類の血痕に赤みは残り得ること、弁護側のねつ造だという主張には根拠がないことを挙げて、ねつ造を真っ向から否定。

ねつ造が非現実的で実行不可能である主張は以下の7点(!)。

①袴田さんのものに似ている衣類を用意するのは難しい

用意するには事前に従業員に詳しく特徴を聞く必要があるし、同じ特徴で使用感のあるものを用意するのは難しい。また、ねつ造するなら元の衣類を処分する必要があるが、それも難しい。

②販売ルートに矛盾がない

ねつ造だとすれば販売ルートや製造時期などに必ず矛盾が出るのにもかかわらず、警察が詳しく捜査をしている。

③警察がみそ工場に隠すのは難しい

みそ工場に侵入するのも工場側に協力してもらうのも非現実的だし、隠せるのは2週間にも満たない期間で、その間に準備をするのは難しい。

④ねつ造だとすれば、共布に関する母親・袴田ともさんの証言は警察にとって都合が良すぎる(?)

この理論はよくわからなかったのだが……。

死人に口なし状態でともさんの発言の揚げ足をとって、娘であるひで子さんの前でよく言えるな、と心が痛んだ。

⑤わざわざ5点もの衣類を用意する必要がないし、ねつ造ならもっと上手くするはず

5点も用意すれば矛盾が多くなる危険性がある。弁護側が指摘する血痕などの偏りは意図的に作る理由がなく、むしろ犯行着衣であることの証拠になる。

これは確かに一理ある。ねつ造にしてはいろいろと雑すぎる。
しかし確定審で採用されて、死刑判決が下されたのが現実なのである。

⑥5点の衣類が犯行着衣であることは、自白(犯行着衣はパジャマ)と矛盾しているから、当時の検察の考えに反する

5点の衣類が発見された1967年8月時点の裁判では、ねつ造をしなければいけないほど検察側は追い込まれていなかったし、むしろねつ造によって自白の信用性が失われる危険性があるので、ねつ造する理由がない。

⑦ねつ造はリスクが高すぎて非現実的

袴田さんのものに似た衣類を探し、血痕や損傷をつけ、みそタンクに隠し、実家に共布があったように偽装する、といった一連の行為は大規模すぎて非現実的だし、判明すれば検察・警察の信用が失われるため、リスクが高すぎて考えられない。

以上で冒頭陳述が終了。

凄い。根拠も何もないただの意見を、こんなにもだらだらと法廷で話せる勇気に尊敬。

この時点ですでに14:20。しかし実際の時間以上に長く感じた……。

検察側立証

(1)5点の衣類が犯行着衣である

若い女性検事の登場。嫌々やっているのかなと同情していたのだが、まるでNHKのアナウンサーのような堂々とした話し方。

若い女性検事さんらくがき。玉ねぎヘアでかわいらしい。

当時のみそタンクや工場内の画像、工場内の見取り図、調書などを出しながら、当時の捜索状況などについて丁寧に説明していく。衣類の血痕の付着状況についても画像を出して説明。

◎14:50 休廷

外の空気を吸いによろよろと裁判所を出る。汗が冷えて凍える。ストレッチをして気合いを入れる。

◎15:20 再開

法廷内はずっと暑かったのだが、ここで入廷したときは本当にサウナかと思った。

(2)5点の衣類は被告人のものである

ぎょろぎょろとあちこちを睨みつけているメガネの男性検事が登場。
見た目とは裏腹に声は優しげで聞きやすい。

袴田さんの衣類に“酷似”していることを、当時の証言を大量に読み上げて説明していく。

袴田さん自身は「似たようなものを持っている」「自分のものかどうかまではわからない」「自分のものならクリーニング屋が名前を入れている」などと証言している。

しかしクリーニング屋は「袴田さんが持ってきた記憶はない、名前を入れたことはない」という証言をしている。

その後従業員の「似たような衣類を見たことがある」「袴田のものに間違いない」「事件後は見ていない」というような、ほとんど同じ証言が何十人分か続く……もういいって!

だから、「酷似している」=「袴田さんのもの」にはならないでしょ?
だいたい、なんで他人の服の小さい特徴まで覚えてるの?
なんで他人のパンツを見て「間違いない」って言えるわけ?

次に、購入ルートの捜査、家宅捜索の流れなどの、警察の調書を読み上げていく。

あの、検察が警察の作った調書を証拠として使うのって何の意味もないのでは?

そして袴田さんがズボンを穿けなかった点について、糸密度だとか収縮率だとか話している中で、しれっと、ズボンのタグの「B」の表示は「生地の色」、「Y」は「痩せている人用のサイズ」を示すと言った。

あれ?ずっと「B」は肥満体用のサイズだと主張していたのではなかったか……?

また、確定審での次兄への証人尋問を読み上げ、質問に対して黙ってしまった部分を「次兄、沈黙」と何度も繰り返して強調。

何だか、そんないじめみたいなことして楽しいんですかね。

(3)被告人が犯行時に5点の衣類を着用していた

また女性検事の出番。

袴田さんの右肩の怪我と、衣類の右肩の穴の位置について調書や画像で説明していく。

その中で、またしてもしれっと、検察が行ったみそ漬け実験の結果、真っ黒に染まった布の写真が出されて、軽く流すだけで一瞬で消えた。
幻?

17:00 閉廷

ここで17時になり裁判官により閉廷が促される。

小川先生がすっと立ち上がって、「衣類の色について触れていないが、また改めて触れるのか」と質問する。先生も疲弊されていたのか、いつになくきつい口調。

検察官は若干しどろもどろになりながら、年明けには触れるとして、17時すぎに閉廷。

お疲れさまでした、私含め皆様。

……本当に疲れた。体力も気力もすべて持っていかれてしまった。

ひで子さんが第2回公判を「裁判らしい裁判」と評した意味が分かった気がする。あそこには、何か明らかに異常な空気があった。

さすがは検察である。

堂々とした口調には、いくら矛盾があろうと受け入れてしまうような圧倒的な威圧感があった。

そして都合のいい部分はうんざりするほど長く話すのに、都合の悪い部分は一応触れはするが一瞬で終わらせる高等テクニック。

検察は悪を裁くヒーローである一方で、天才的な冤罪職人にだってなれるのだ。

弁護団記者会見

弁護士会館にて、弁護団記者会見

私の席からはほとんど弁護側が見えなかったので、やっとひで子さんと弁護団の方々の姿が見えた瞬間に、何だか身体の力が抜けるような安心感を覚えた。

記者会見全編はこちらでご覧いただけます。

youtu.be

最初にひで子さんが、「母親は嘘を言うような人間じゃない」「母も兄も頑張ったから、今の再審開始がある」と述べ、「これじゃ冤罪はなくならない」と悔しさを滲ませていたのが印象的だった。

検察側が立証に力を入れるのは構わないのだが、すでにこの世にいないご家族を都合よく利用するのは、あまりにも残忍だと思ってしまう。

小川弁護士は、検察側の主張は弱いところばかりで、「枯れ木も山の賑わい」と表現した。特に5点の衣類が犯行着衣であるという立証の薄さや、衣類の色についての説明不足があり、ある意味で安心と述べた。

西嶋弁護団長は、「警察がそんなひどいことはしないなんて、よく白々しく言えたものだ」と呆れる。
県民として恥ずかしいことだが、静岡県がいかに冤罪大国であるかは周知の事実である。

村崎弁護士は、5点の衣類は「突然宇宙から降ってきたようなもの」で、連続性がなく異常である時点でねつ造なのだと強く主張された。
村崎先生、いつも発言が面白くて好きです。

今後の弁護団の方針としては、5点の衣類一つ一つやその他矛盾点などを丁寧に突いて、ねつ造以外にあり得ない、という方向を目指すようだ。今回の検察の主張は弱い部分が多く、「十分に反論できる」とのことである。

18:30頃、記者会見終了。

私の推し弁護士・角替先生にお声をかけさせていただくために駆け寄ると、なんとブログを読んでいただいたとのことである!!
感激半分、恥ずかしさ半分……。

お写真も撮っていただけました;;

今回もお美しい~!お写真ありがとうございます;;

袴田事件弁護団の先生方は魅力的な方ばかりなので、推し弁護士を作るのも楽しみ方の一つかもしれない。かなりニッチな推し活ができます(笑)

村崎先生推しの方もいらっしゃって、会見で村崎先生が発言すると一人で大拍手をされるのですぐに居場所がわかる(笑)

帰りに魂心屋のラーメンを食べて少し元気回復。
しっかりまくり券もゲットしてきました。

さて、今回は苦行そのもののような公判だったが、今後の弁護団の反撃が楽しみだ。正直、検察の話はもう聞きたくないのだが……(笑)
いや、足を踏み入れてしまったからには毎回並びますよ。

実は整理券・傍聴券はすべて壁に飾っています。
現在5枚。終わる頃にはいったい何枚になるんでしょうか。

それではこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました!

袴田家初訪問! &袴田事件がわかる会(2023/11/18)

こんにちは。
最近は個人的にいろいろあったりなかったりで、すっかり更新サボっていてすみません~!
気付いたらずいぶん寒くなってきましたね。体調管理をしっかりしていきましょう!

さて、昨日11月18日(土)は、袴田家に初めてお邪魔させていただくのと、第72回袴田事件がわかる会(ゲスト:小川弁護士)に参加させていただくということで、浜松へ行ってきました!

いざ、浜松へ。

浜松駅に降り立ったのはおそらく初めて。
同じ県内とはいえ、静岡は横に長いので浜松はすごく遠い。在来線で2時間近くかかる距離だ。

ついでに言うと、静岡県内は、昔の駿河国遠江国伊豆国の名残なのか、場所によって文化も方言もかなり違い、県民性といった統一感があまりない。
特に静岡市民と浜松市民は、どちらが大きい都市かで競っていてあまり仲は良くない(笑)

まあそんな事情もあり、県外へ旅に出るような気持ちでのんびり電車に揺られる。

道中、ひで子さんの半生を描いた漫画『デコちゃんが行く』を読んでいたのだが、これは完全に失敗した。

せっかく気合を入れたメイクが台無しにならないように、今にも溢れ出そうな涙を堪えるのにとにかく必死。家で読んでいたら普通に号泣していただろう。

Amazonなどでも購入できるので、まだ読んでいない方はぜひ。↓↓↓
※泣いても良い場所で読むことを推奨

デコちゃんが行く | いのまちこ, いのまちこ, たたらなおき |本 | 通販 | Amazon

巖さんとひで子さんが暮らす家

そんなこんなで浜松に到着。

外に出た瞬間、寒い!とにかく風が強い!
これが噂には聞いていた「遠州のからっ風」というものか。
この風の中で生きてきたのも、ひで子さんの強さの秘訣の一つなのかもしれない。

手土産のお花が吹き飛ばされないように両腕で抱きしめながら、いざ袴田家へ。

袴田家は、浜松駅から歩いて十分ほどの、白い3階建てマンションの3階部分である。

このマンションは、ひで子さんが巖さんと暮らすために30年ほど前に建てられたもので、見事夢が叶い、巖さんと共に穏やかに生活されている。

3階まで階段を上ると、かわいらしいピンク色の大きなドア。
そこがひで子さんと巖さんのおうちである。
(階段がなかなかキツかったのだが、巖さんもひで子さんも毎日上り下りしているようだ。元気すぎる……)

出迎えてくださったのは、袴田さん支援クラブ代表の猪野待子さん。献身的にひで子さんと巖さんの支援をし続けている、ものすごくパワフルな美人だ。

中に入らせていただくと、広々としていて見晴らしの良い、綺麗で素敵なお部屋である。

そこに、巖さんがいた。

巖さんがいるだけで、なんだか幸せ。

何度も画像や映像で見たことのある巖さんが、穏やかな表情で目の前に座っていた。

緊張しながら挨拶をして、握手していただいた。
柔らかく温かい手だった。

巖さんとの初のご対面。感動。撮影は猪野待子さん。

巖さんの自認年齢と同い年の23歳であること、清水から来たということ、巖さんとお友達になりたいということなどを話しかけてみたが、何となく返事をしてくれるときがある程度で、なかなか会話にはならない。

まだお友達にはなれなかった。巖さんに認めてもらえるまで浜松通いをするぞ。

しかし、拙いながらもメジロの絵を描いて添えた手紙を手渡すと、無言でじっと見つめてから、上着のポケットにしまってくださった。

小さい頃の巖さんは、近所で火事が起こった際に、飼っていたメジロの鳥籠だけを抱えて逃げて震えていた、というエピソードを聞いたことがあり、それでメジロの絵にしたのだ。

何か昔のことを思い出していたのだろうか。
表情からは何も読み取れなかったが、受け取ってくださったことが非常に嬉しく、泣いてしまいそうだった。

48年にも及ぶ死刑囚としての獄中生活が、巖さんの人生と精神を蝕んでしまったことに対して、もちろん胸が痛む感覚もあった。

しかしそれ以上に、巖さんがちゃんと生きて目の前にいて、肌のぬくもりを直に感じることができた、その喜びのほうが大きい。

どうしてひで子さんはあんなに強くいられるのだろう、とずっと不思議だったのだが、その理由が何となくわかったような気がする。

巖さんが目の前にいるだけで、なんだか自然と笑顔になってしまうのだ。
そのような人としての魅力が巖さんにはある。

「悲劇にしたくない」ひで子さんの言葉の重み

巖さんが急に出かけてしまってから、ひで子さんと初めてしっかりお話しさせていただいた。

時間がなくてあまり多くはお話しできなかったのだが、私のような若輩者にも、非常に低姿勢に優しく接してくださった。

『デコちゃんが行く』に快くサインもいただけました!すごく達筆……!

いつ見ても若々しく元気なひで子さんが、戦争も経験し、巖さんの無罪を求めて長年闘い、90年間も生きているという事実を、私はまだあまり呑み込めていない。
実際にお話ししていても、こんな90歳が現実に存在するのだろうか…?と疑ってしまう。

「本当に色々と大変だったでしょう……」と私が言うと、ひで子さんは、

「57年もあれば、みんな多かれ少なかれ大変なことはあるよ。私はたまたま巖が巻き込まれちゃっただけで」

と平然と明るく言ってのける。

いやいやいやいや!と思わず突っ込んでしまう。
いやひで子さん、歴史的に残る大きな死刑冤罪事件ですよ?そんじょそこらの苦労と一緒にできるものじゃないですよ?

しかし、ひで子さんは「悲劇にしたくない」とおっしゃった。

私はその言葉を咄嗟には理解できなかった。
巖さんやひで子さんの身に降りかかった苦しみを、悲劇と呼ばずして何と呼ぼう。

しかし、実際に袴田家に伺ったのもあって、あとになってその言葉の意味が何となくわかるような気がした。

警察・検察や裁判所、再審制度などに対して、一番怒りや悔しさを感じているのはひで子さんのはずである。

しかし、巖さんが生きて帰ってきて、一緒に暮らすことができるということに、一番幸せを感じているのもひで子さんなのである。

だからこそ、過去を振り返るのではなく、常に前を向いて歩くことができるのだろう。

ひで子さんの言葉には、あとになってずんと重みがのしかかってくる。

私が袴田家を訪ねた様子を、猪野待子さんがブログ「袴田家物語」に載せてくださりました。感激です! ↓↓↓

npokitchengarden.hamazo.tv

第73回袴田事件がわかる会(ゲスト:小川弁護士)

さて、13時半から浜松復興記念館にて、第72回「袴田事件がわかる会」に参加するために、ひで子さんと歩いて向かう。

ひで子さんと二人で歩くことができるなんて、何だか鼻高々だなと思って意気揚々としていたところ、会場の前で急にパパラッチに遭った。

初公判の日以降良くしていただいている、ジャーナリストの青柳さんである。

何だか芸能人になったみたいだ(笑)
(あとから聞けば、ひで子さんを撮っていただけで私は関係なかったらしいが)

会場には50人ほどの支援者、記者の方が集まっていた。

公判のときなどによくお見かけする方もいれば、お会いしたことのない方も多い。
全体的にあたたかい雰囲気である。

適当な席に座ろうとしたところ、若い人が前にいたほうがいいから、となぜか最前列ど真ん中を指定された。有り難いが、何だか落ち着かない(笑)

講演の様子は袴田チャンネルにアップされているのでご覧ください。
いつも穏やかな印象の小川先生が、ここでは歯に衣着せぬ物言いをされていておもしろいです◎

特に動画の38分頃~ くり小刀を振り回す小川先生は必見(笑)

youtu.be

以下の内容は講演のざっくりとした要約です。動画を見ていただいたほうがより深く理解できると思います。

今回のテーマは、

①こがね味噌事件(=袴田事件)は、本当はどのような事件だったか

②再審公判における検察官の立証活動の謎

③5点の衣類がねつ造であることをどのように示すか

の3つ。特に③について、一人一人が検察の目線に立って批判的に考えてみるように促された。

裁判の行方を見守るだけでなく、どのように戦うのが効果的なのか自分でも考えてみることは、より深い事件の理解に繋がる気がする。

これを読んでくださっている方も、ぜひ考えてみてほしい。
何か良いアイデアが浮かんだら、私までお気軽に連絡ください。

①こがね味噌事件は、本当はどのような事件だったか

これを今になって取り上げる理由は、袴田さんが犯人か否かという部分ばかりが争われてきて、もともとの事件の本質が疎かにされてきたからである。

また、最近になってやっと出てきた証拠も多く、やっと事件そのものを見つめることができるようになったことも大きい。

この事件は、袴田さんを犯人に仕立て上げるという目的のために、事件そのものがねじまげられている部分が多い。

例えば、

・犯人は深夜に侵入したとされているのに、被害者らはまだ起きているときのような服装をしていた。

・被害者宅は両隣と接近していて物音も筒抜けなのに、犯人がくり小刀一本で一人で侵入してきたとされているのにもかかわらず、誰も叫び声などを聞いていない。

・強盗目的とされているが、家には多額の財産が残されていた。

このような明らかな矛盾点があるのにもかかわらず、”自白”があることで、検察側の作り出したストーリーがなぜか受け入れられてしまったのである。

重くてゴワゴワする雨合羽を着て犯行に及ぶか、という点や、くり小刀で人を殺害できるのか、という素朴な疑問もある。

そこで小川先生が実際に同じようなくり小刀を出して実演。
目の前でくり小刀を振り回されていたので、なかなかスリリング(笑)

くり小刀を振り回す小川先生(笑)

そもそもくり小刀というのは、刺すものではなく横に動かして削るためのものである。

そのため、ツバがないので手が滑れば怪我をする。
また刃と柄を繋ぐ部分である目釘もないので、刺せば刃が抜けてしまう。

被害者の傷を検証するまでもなく、そもそも人4人を合わせて40箇所も刺せるようには作られていないのである。

②再審公判における検察官の立証活動の謎

検察は、高裁で再審開始が決定された際に特別抗告をしなかった(=負けを認めた?)のにもかかわらず、再審公判では力を入れて有罪立証をしている。
特に「5点の衣類」を一番の争点としているようである。

差戻し後の再審請求審で、「長期間みそ漬けにしても血痕に赤みが残る場合はある」という法医学者の証言があったが、東京高裁はこれを一切採用しなかった。

にもかかわらず、また今回の再審公判で、7名もの法医学者が連名で同じ内容の鑑定書を提出し、検察はそれを証拠としている。

小川先生はこれを「謎の鑑定書」と呼ぶ。

しかし、「赤みが残る場合がある」即ち「犯行着衣である」とはならない
つまりこの鑑定書が正しいとしても、5点の衣類が袴田さんのものであることを裏付ける証拠にはなり得ないのである。

③5点の衣類がねつ造であることをどのように示すか

5点の衣類については素人目に見てもおかしな部分ばかりだが、ねつ造だとなるべくわかりやすく訴えるためにどうしたらいいのか、小川先生自身も悩まれているようである。

そのため、一人一人が検察官になったつもりで、一緒に考えてほしいとのことだった。

「みなさんは検察官、私は正義の味方の弁護士ですから」
会場が爆笑に包まれる。

わかりやすいねつ造疑惑としては、1年2カ月味噌に漬かっていたにしては衣類が白すぎることや、中に着用していたはずのものに外側よりも多く血が付いていること、巖さんがズボンを穿けなかったことなどが挙げられる。

ズボンの着用実験は1972年と1975年の2回行われている。

1972年のほうは若干太っていたらしいが、1975年のほうは引き締まって腹筋が綺麗に割れている。それでもズボンは入らなかった。

これだけでも十分な材料にはなるのだが、加えて衣類の「色」が大きな争点として扱われるようになった。

ずっと茶色っぽい衣類の写真しか見ていなかったために、弁護団の方々も衣類の色にはあまり注目していなかったようだが、最近になってやっと、もとの布の色がわかるような写真が開示されたのである。

またその他に、服と下着の血痕の位置のズレや、裏側のほうに多くついている血痕、ズボンに入っていたのに味噌に染まっていないマッチなど、疑惑は数えきれない。

実際に衣類に血液をつける実験も行っている小川先生は、平面に置いて血液がつけられたように見える、血液を擦り付けたように見える、などの疑惑も抱いていた。

本当にやったことがあるからこその指摘だ。私にはそこまではさっぱりわからなかった。

ここから軽く質疑応答に移って終了。
非常に興味深く、深く考えさせられる講演だった。ありがとうございました。

その後は「見守り隊」(巖さんと一緒にドライブに行ったりお世話をしたりしている方々)から、ここ1カ月間の巖さん、ひで子さんの報告。

巖さんのほっこりする写真や、ひで子さんの楽しそうな写真ばかりで、思わず笑顔がこぼれる。

特に和歌山へ行った際のひで子さんの写真がとても美しかった。

呼ばれればどこへでも講演をしに行くひで子さんだが、長い間友達と旅行に行くなんてこともなかったため、遠征先での観光を楽しんでいるようである。

巖さん、ひで子さんの日常は、先ほども貼った「袴田家物語」で見ることができる。

npokitchengarden.hamazo.tv

浜松で支援活動をされている方々は、事件のことはもちろんなのだが、それよりも巖さんやひで子さんの幸せを最優先しているように感じられて、とてもあたたかい。

その努力とやさしさのおかげで、ひで子さんも巖さんも元気でいられるのだろう。

浜松までの遠征で疲弊してしまい、この日は早々に帰路につく。

夕飯はピザを取り、やっとボジョレーヌーヴォーを開けた。幸せだ。

さて、明日は第三回公判。
検察側から5点の衣類についての主張が行われるとのことだが、何を言うのか楽しみなところである。

静岡地裁にて11時から開廷。傍聴券配布は8時半から9時まで。
空いている方はぜひ応援しに行きましょう。

夜遅くなってしまったが早くこの記事をアップできたので、どうか傍聴券が当たりますように。
それ以前に、絶対に寝坊しませんように。

あ、そういえば、今回から見出しや太字などを使って見やすくしたつもりです。過去の記事も読みやすいように近々編集します。読みにくくてすみません。

それでは、アラームをたくさんつけて寝ます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

【傍聴記】第2回公判:これは闘いである。【袴田事件再審】

2023年11月10日金曜日。静岡地裁にて、袴田事件再審第2回公判。

静岡はあいにくの雨。天気のせいか、二回目だからなのか、人もカメラも少ない。

今回は見事傍聴券が当選して、裁判を生で見届けることができた!!!

なので今回は待望の(?)傍聴記。
本当は当日のうちに書きたかったのだが、疲れもあってなかなか書き終わらず……。遅くなってすみません。その分ボリュームはかなりありますので!

※正確に把握できていない部分もあるかもしれないので、あまり鵜呑みにはしないでください。だいたいの雰囲気だけ味わっていただければありがたいです。

今回は「検察官の主張①」(犯人はみそ工場関係者であり、袴田さんが犯行を行うことが可能だった)に対しての弁護側の反論。

長い間指摘され続けてきた点が丁寧に説明されて、事件を知っている人にとっては、特に新しい情報はない。

しかし、くり小刀、雨合羽、ブリキ缶、ゴム草履などの実物が現れたのには驚いた。
当時の現場や調書の写真も数多く見ることができて、実際に起きた事件なのだということを再認識させられた。

また、検察と裁判官という相手が実際にいるということを目の当たりにして、ああ、これは闘いなんだな……と身に沁みて実感した。

では、ここから一日の流れと感想をざっくりとまとめる。

◎9:45 当選番号発表

思わず、「当たった~!!!」と叫んでしまった。
今回並んだのは89人。3人に1人くらいは当選する計算になるが、一緒にいた5人のうちの4人が当選した。すごい強運!
地裁に移動して傍聴券をもらって中に入る。
整理券と傍聴券のハッピーセット!これはテンションが上がる。

整理券と傍聴券。袴田さんの好きな緑色のスカートが運を呼んだのかも。

そうそう、私は初公判の記者会見のときに角替清美弁護士の大ファンになってしまって、そんな話をしていたところ本人が目の前に!思い切って話しかけ、震えながら名刺を交換させていただいた。理知的で美しい、素敵なお方でした……!!

◎10:30頃~ ボディチェック

二階に上がると大勢の裁判所職員の方々。
筆記用具以外は何も持ち込めず、荷物を預けたあと、全身くまなく金属探知機を当てられる。唯一反応した腕時計も入念にチェック。ここまで厳重な警備だとは思っていなかったので驚き。

実は私はパニック障害で、薬と水が手元にないと不安なので交渉してみたのだが、やはり一切禁止とのこと。ただ、いつでも外に出て荷物を取れるので大丈夫だと優しく声をかけていただけて安心。ありがとうございます。

初めての裁判傍聴というのもあってわくわくしていたのだが、法廷前に貼られている紙の
“住居侵入 強盗殺人 放火 被告人 袴田巖“
というおどろおどろしい文面に一気に身が引き締まる。

ここからは裁判記録と感想をざっくりと。法廷画(というよりらくがき)もところどころ添えて。

11:00 開廷

それでは11時になりましたので~、と案外ぬるっと開廷。

ざっと法廷全体。実際は弁護団のお顔はほとんど見えず。

席は指定席で、弁護側の後ろ。弁護士の先生方のお顔は重なってしまって見えづらかった。特にひで子さんがほとんど見えなかったのは残念。

逆に検察のお顔ははっきりと見える。メガネで鋭い目つきの男性2人と、かわいらしい若い女性の3人。特に女性の検事さん、どんな気持ちなんだろう、本当は嫌だろうなあ、などと気になってしまった。

最初に、検察が起訴状における被害者(専務)の年齢の誤りを訂正。…今更?

その後弁護側が、事件の4日後の1966年7月4日の「従業員H」の名前が記載された新聞記事を、すでにこの時点で警察が袴田さんを犯人と決めつけてリークした証拠として採用しなかったことに異議を申し立てたが、地裁は棄却。

一般的に、公判外での供述や報道内容などは「伝聞証拠」と呼ばれ、ほとんどは採用されないようだ。確かにこれは確たる証拠ではないし、新聞が適当に書いただけと言われればそれまでだが、悔しい。

弁護側冒頭陳述

田中薫弁護士が、犯人はどこから侵入したのか、どうやって4人を殺害したのか、奪ったとされる金はどこに行ったのか、などを問いかけるように述べ、改めて犯人はみそ工場関係者ではないこと、単独ではなく、外部の複数犯であること、強盗目的ではないことを主張した。

まず、ポケットに鞘の入った雨合羽は本当に落ちていたのか、くり小刀が凶器なのか、雨合羽から人血反応があったという鑑定書が再審になって初めて出されたことを指摘。

また放火に使われたとされる工場にあった混合油や、被害者宅から工場までの間に落ちていた金袋、みそ工場の風呂場の血痕を7月23日に見つけたと主張していることなど、犯人はみそ工場関係者と主張される点についての疑問点を挙げる。

そして、検察側の主張するような行動を袴田さんがとれたとは到底考えられないと締めくくり、冒頭陳述終了。

雨合羽に血痕が付着していたという鑑定書が再審になって初めて出てきたことに対して、検察は「隠したわけじゃなく開示されなかっただけだ」と反論。
隠したとは一言も言っていないのだが……。

弁護側立証

ここから資料を使って立証に入る。角替先生の出番である!

当時の調書や写真、図を用いながら、一つ一つ反証が行われていく。

角替先生。かっこよかったです。
現場状況

現場の図や当時の写真を多く使いながら、事件の状況を確認していく。
私は事件現場には何度か足を運んでいるので、特に事件前の被害者宅の写真を見て胸が苦しくなった。焼けてしまって、今ではそのほとんどが残っていない。

パジャマ

7月4日に任意提出された袴田さんのパジャマの写真が出される。ぱっと見では染みがついているようには見えない綺麗なものだった。しかしこれがいわゆる「血染めのシャツ」なのである。

雨合羽

雨合羽が発見された時刻が事件当日6月30日の「午前11時 午前4時」と書き直されていること、その後の実況見分調書では雨合羽の記述がないこと、7月6日付で初めて雨合羽の写真が出てきたこと、また消火の際に工場員が雨合羽を着たという証言があったことなどを指摘。

と、ここで、雨合羽とポケットに入っていたという鞘の実物が登場!!びっくり。

手袋をはめて厳重に扱われ、あの授業とかで使うような手元を写してモニターに映すやつ(オーバーヘッドカメラ?)で見る。
雨合羽は何となく黒っぽいくらいでほとんど見えず。

くり小刀の話に移ろうとしたが、かなり時間がかかりそうだということで午後に持ち越し。

◎12:15 休廷
支援者の方たちと、浅間通りにある肉総菜専門のレストランDON幸庵さんへ。外観は高級和食店のように見えるが、中はおしゃれなカフェのような雰囲気。リーズナブルな価格で大きなローストビーフがいただけて幸せ。ごちそうさまでした。

◎13:15 再開

くり小刀

いきなりくり小刀現物が登場!

刃渡り12㎝ほどと知ってはいたものの、実物のあまりの小ささには心底呆れてしまう。
人を4人も殺害したものだなんて到底思えないし、これで人を刺そうという発想にも至らない。被害者4人は40箇所も刺され、肋骨まで切れているのだ。しかし実物は「凶器」という言葉には全く似合わない、おもちゃのような代物だ。
しかもくり小刀から血液は検出されていない。どうして認められたのか、不思議で仕方がない。

混合油

警察は普通、放火ならまず油などの特定をするはずなのに、特定をしないまま7月4日には工場内にあった混合油と断定したことについて指摘。しかも専務の遺体の近くにはガソリンの入った缶があったのにもかかわらず。
鑑定では混合油が放火に使用されたかどうか不明だという結果が出ている。

ここでまた現物の登場。工場の混合油が入っていたブリキ缶(高さ50~60㎝ほどか)と、混合油を運んだとされるポリ樽(こちらはレプリカ)。
このブリキ缶の側面から数カ所の人血反応があったということだが、犯行に使ったのなら絶対に触れるはずの蓋や縄からは血液は検出されていないのである。

検察が「つまり人血反応は捏造だと言いたいのか」と聞いたが、
田中先生が、「いいえ、捏造と申しているのではありませんよ?側面だけに人血反応があったという点が不自然だと申しているのです」と嫌味っぽく返す。

◎14:25 休廷

正直すでに疲れ切っていたが、若いのにこれで音を上げているようではだめだ!90歳のひで子さんが頑張っているんだから!と自分を鼓舞する。

◎14:55 再開

金袋

奪われたとされる金袋とその金額、また被害者宅に残されたままだった甚吉袋の中の金袋の中身や、現金、通帳、貴金属類などをすべて確認し、改めて強盗ではないことを指摘。
預金もものすごい額があり、宝石のついた指輪等も、乙女心がときめくほど大量にある。もしも私が犯人なら絶対に盗りたい。

取調べの録音テープ

袴田さんが自白を始めた1966年9月6日(とされている)の取調べの録音が流される。
内容は、「犯行後にどこから出たのか」を松本警部が尋ね、袴田さんが「裏(木戸)です」と答えるが、警部が「裏木戸は閂がかかっているのだからありえないだろう」と強く否定する場面である。

松本警部のゴリゴリの静岡弁と威圧的な物言い、私の祖父にそっくりだ…(苦笑)
正直、きつい静岡弁は関西弁よりも怖く感じる。

生々しい録音が流れ、検察側がさっと強張ったように見えた。自分たちの先輩として、どう感じているのだろうか。

そして田中先生が、
「他の従業員に気付かれずに工場を出て、一人で被害者宅に侵入し、くり小刀一本で4人を殺害し、工場に戻って混合油をポリ樽に移して運び、再び被害者宅に侵入して放火し、また工場に戻るという行動が、いったい袴田さんにとれたでしょうか」
と、心に直接訴えかけるように、静かながら凄みのある口調で検察に問いかけた。

田中先生が語り出した直後から、検察が明らかにそわそわと体を動かし始めた。動揺しているように見えた。

ゴム草履

ここで犯行時に袴田さんが履いていたとされているゴム草履の実物が現れた。
黄色に鼻緒部分が青色の、普通のペラペラのビーサンである。

このゴム草履は犯行時に履いていたとされたのにもかかわらず、当時警察が鑑定したところ血液も油も検出されなかったために、57年間証拠として日の目を浴びることがなかったものだ。
つまり、重大な無罪の証拠になりうる。

最後に、検察側からの質問。
「つまり検察が何を捏造したと言いたいんですか!?」と声を荒げる検察官に、
「捏造なんて一言も申しておりません!」と強く主張する田中先生。

大女優、田中弁護士

田中先生、問いかけるような静かな語りから、皮肉めいた物言い、怒気を含んだ口調まで、一人何役かと思うほど、とにかくメリハリがすごい。何を言われてもコロッと洗脳されてしまいそうだ(笑)

にしても、今回は「捏造」という言葉は一切用いられていなかった。
弁護側は非常に落ち着いた口調で、客観的証拠に基づき淡々と指摘をしていた。もっとガンガン攻めてほしい!と物足りなく思ってしまうくらいに。

え、検察、話聞いてなかったの?と私ですら思った。

最後に次回の日程を確認して終了。
次回、第三回公判は11月20日(月)、検察側が「5点の衣類」についての主張を行うとのこと。

15:50頃 閉廷

終わってどっと疲れを感じたが、意外と時間が早く過ぎたような気もした。初めての裁判で緊張するかとも思ったが、それほど厳かな空気ではなく、むしろ大学の講義を受けているくらいの感覚だった。

しかし、やはり実際に裁判を見てみて、事件に対する実感というものが強くなったように思う。

一番大きかったのは、これはれっきとした闘いなのだという体感を持てたことだ。

支援者や弁護団の方しかいない場で事件について話していると、もうすでに無罪判決は確定しているような和やかさが常にある。
しかし、実際には検察という敵がいて、判決を決める裁判官がいる。本当に無罪になるのかどうかも、いつ判決が下されるのかもわからない。

裁判に関しては応援するくらいしかできることはないのだが、なんだか、もっと気を引き締めなければ、という思いになった。

そして闘いは袴田さんのためだけではなく、この事件でお亡くなりになった被害者の方のためでもある。

事件現場付近は当時の面影を残して今もうら寂しく、被害者四人は現場近くのお墓で静かに眠っている。早く真相が解明され、被害者の方々が少しでも安らかに眠れることを心から願っている。

また、考えてみれば当然のことなのだが、当時の調書がすべて肉筆で書かれているという事実に驚きを感じた。

冤罪は警察・検察組織全体、司法制度全体の問題である。
しかし同時に、冤罪を作り上げたのは一人一人の人間でもある。
そしてその罪は、現在の検察官一人一人にはない。

人間である以上、間違えることはある。だから、もし過去に過ちがあったのなら、すぐ素直に認めれば良いだけの話ではないか。私はそう思う。

◆17:30~ 弁護団記者会見

産業経済会館にて、記者会見がスタート。
実はこの日、やっとここでひで子さんをしっかり拝見できた。黒×ビビットピンクがお洒落。

今回の会見の様子も「袴田チャンネル」に上がっている。↓↓↓
【第2回再審公判】弁護側の攻勢始まる! - YouTube

会見前の様子。実はテーブルクロス?の色は毎回変わるとのこと。今回は青。

最初に西嶋勝彦弁護団長が、第二回公判について「明確な弁論だった」と評価した。

ひで子さんは「弁護士さんが捜査資料をよく読みこんでいることがわかった。改めて弁護士さんの力の強さには感謝しております」と発言。

この言葉を聞いて角替先生の目から涙が……先生、素晴らしかったです。お疲れ様でした。

ひで子さんは、今回は「裁判らしい裁判だった。とても良い裁判だった」とも発言されていたが、それは初公判はとてもだらだらしていたからとのことだ。
今回もバチバチ争うような場面はなく、私は裁判らしいとは思えなかったのだが……いったい初公判はどんな感じだったのだろうか。

角替先生や水野先生は、再審というものの難しさについて語られた。

今回の裁判で証拠となるものは、検察が検察のために集めた、有罪の方向への材料しかない。つまり弁護側は、有罪のために集められた証拠の中から無罪の証拠を探すという困難な作業をしなければいけないということである。

今回、弁護側は公判内で「捏造」という言葉も用いていないし、意見を主張するのではなく、客観的な証拠に基づく指摘を一つ一つ丁寧に行っていた。

検察側は何だかずっと焦っている様子で、「捏造ではない」と言いたげだったが、そもそも誰もそんなことは言っていないのである。

もちろん弁護団は捏造を疑っているし、本当はそう主張したいだろう。

しかし、捏造かどうかを評価するのはあくまで裁判官であって、弁護側は検察の主張の矛盾点を詰めていって、最終的に「捏造しかありえない」という判断を目指している、という感じだと思う。(おそらく)

また村崎弁護士は、司法の世界では未だに非常識がまかり通ることを訴え、袴田事件は「司法の汚点」として、司法制度を変えていく闘いでもあると訴えた。そして報道の責任もある、反省してほしい、と語気を強め、記者の方々は心なしか居心地悪そうにしていた。

◆19:00頃? 会見終了

今回も長く濃い一日だった。
会見の途中くらいからほとんど頭が働かなくなり、記憶が曖昧である。

改めて弁護士の先生方、ひで子さん、また支援者の方々のバイタリティに尊敬する。

へとへとになりながら家に辿りついて即ビール。心身に沁み渡る~

実は近々、袴田家にお邪魔させていただけることになるかもしれない。
巌さんは自称では23歳、私と同い年なのだ!
緊張するが、お友達になれるようにがんばりたい。どうしたら仲良くなれるかな。いろいろ作戦を練っておこう。

さて、今回はここまで。
長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

これからも袴田事件の支援、勉強、発信など、いろいろとがんばっていきますので、よかったら応援よろしくお願いいたします。Twitterのフォローもぜひ!

袴田事件再審初公判に行ってみた!:長くて濃い一日の記録

第二回公判が明日に迫った今頃になって申し訳ないが、2023年10月27日に静岡地裁で開かれた初公判の日のことを書いていく。

ほとんど興味本位、少々の清水人としての勝手な使命感、そんな気持ちで行った初公判。
傍聴券は外れたのだが、支援者など多くの方々との素晴らしい出会いがあり、また記者会見にも参加することができ、あまりにも刺激的な一日であった。

はじめに断っておくが、この日の時点では何かを発信するという考えがなかった上に、一日に多くの方々とお会いしてたくさん話を聞きすぎて情報がごちゃごちゃな部分もある。第二回公判からは発信することを前提に、全身を耳にして過ごすつもりである。

それでは私の長く濃い一日をまとめていく。

◆8:30前 静岡地裁前に到着

まず目に入ったのは、地裁正面に大きなカメラをずらっと構える報道陣。整理券交付場所にはすでに長蛇の列。傍聴席26席に対し280人が来たとのこと。覚悟はしていたが、事件の大きさを改めて実感する。傍聴自体初めてでソワソワ。

◆9:00頃 整理券交付、移動

整理券をもらい、地裁の向かいの駿府城公園へ移動する。公園入口の橋には支援団体の横断幕が掲げられ熱気で溢れる。公園内のあちらこちらでは各メディアの取材が行われていた。

静岡地裁の向かい、駿府城公園入口の様子

◆9:45 当選番号発表

結果は外れ。合格発表のようなアナログな発表方法。帰ろうかとぼんやりしているところに浜松の袴田さん支援クラブの方々から声をかけていただき、その後行動を共にさせていただく。
アイコンにもしているピンクのキャップはいただいたもので、"HSC"(hakamata supporters club)と書かれている。可愛いのでずっと被っていた。

◆10:30頃 ひで子さんと弁護団のお見送り

地裁に入る前の袴田さんの姉ひで子さんと弁護団を支援者の方々が取り囲み、明るい雰囲気で声援を送る。このとき初めてひで子さんを生で拝見したのだが、とても90歳には見えない若々しく美しい方だった。45歳と言われても信じる。
ひで子さん自身も強くなりたくてなったわけではないだろうけど、やはりあの肌の綺麗さやピンとまっすぐな姿勢、前向きな性格とはきはきした口調……女性として、人として、憧れざるをえない。

◆11:00頃~ ひと言アピール

地裁の向かいの橋で、支援団体の方々などが一人ずつ意見表明を行った。冤罪、再審法の改正、死刑廃止、様々な思いが叫ばれていた。
その中に足利事件の冤罪被害者・菅家さんの姿もあった。
菅家さんの著作『冤罪 ある日、私は犯人にされた』や、再審のきっかけを作った清水潔さんの『殺人犯はそこにいる』を読んでいた私は、思いがけない対面に、迂闊にも内心はしゃいでしまった。菅谷さんが警察官、検察官への恨みを語る姿に胸が締め付けられ、泣いてしまうところだった。

◆12:00頃 ランチ

支援者の方々と一緒にお昼ごはんをいただいた。その中で袴田事件だけにとどまらず、日本や世界の司法制度やほかの事件、法理論などの話をたくさん聞いた。
この間、ほかの方たちは街頭でチラシを配ったりしていたが、のんびりしているうちに終わってしまっていた。

◆14:00頃~ 学習会

この後記者会見が行われる静岡県産業経済会館の会議室にて。
東京や大阪など、各地から多くの支援者が集まっていて、その活動内容や思いを聞かせていただいた。私のところにもマイクが手渡され、大変恐縮していてあまり覚えていないが、清水人として、若い世代として、何か力になりたいです、みたいなことを話したと思う。

◆17:00すぎ~ 弁護団記者会見

11:00に開廷した初公判は17:00前に閉廷、その後弁護団が記者会見を行った。
報道陣も多く押し寄せ、記者の方たちが殺気立ってタイピングしているなか、ひで子さんと弁護団、支援者の方々は非常に和やかなムードで、かなり温度差があった。

ひで子さんや弁護団の方々の発言が面白いので、お時間があればYouTube「袴田チャンネル」で生配信されていたノーカット版を見てほしい。
このチャンネルは袴田さん支援クラブが運営しており、他にも動画が充実しているので要チェック! ↓↓↓

www.youtube.com

最初に弁護団長の西嶋勝彦弁護士から初公判についての説明があり、その後ひで子さんが罪状認否の際に行った陳述を再度読み上げた。

‟1966年11月15日、静岡地裁の初公判で弟・巖は無実を主張いたしました。それから57年にわたって、紆余曲折、艱難辛苦がございました。
本日再審公判で、再び私も弟・巖に代わりまして、無罪を主張いたします。
長き裁判で、裁判所、並びに弁護士及び検察庁の皆様には大変お世話になりました。
どうぞ、弟・巖に、真の自由をお与えくださいますよう、お願い申し上げます。″

それから弁護団の方々が一人ずつ意見を述べられた。

小川秀世弁護士は、穏やかな口調ながらも皮肉をたっぷり交え、「検察は今までと同じ主張をだらだらと繰り返しているだけ。これなら有罪立証を放棄すればいいのに」と思いを語った。
角替清美弁護士は、終始嫌みったらしさ十分な語り口で、「ひで子さんの素晴らしい陳述を聞いて、検察官はよくもあそこに座ってられるな」と憤りを露わにしていた。検察側の主張を一つ一つ取り上げて強く非難する様子は聞いていて気持ちが良い。
他の弁護団の方も、検察側の同じような主張の繰り返しに、”結局何だったんだ?”という虚脱感を強く覚えていたようだった。

弁護団の会見での話を私なりにまとめると、
・検察側の主張は元の裁判での主張とほとんど変わらず、だらだらと無駄な時間を費やしている。
・ただ、再審では袴田さんの自白を用いないことにしたため、それにしたがって自白をもとに主張していた部分(犯行動機や侵入経路、犯行時刻、殺害方法、金の行方など)に前以上に矛盾が多く生じるようになっている。
・検察側はおそらく本気で有罪にしようとは思っていないし、無罪判決は下されるだろう。ただ、検察は一般の人々に”袴田さんが怪しい”と印象づけて、自分たちは間違っていなかったとアピールしたいのだろう。
というようなことだった。

裁判官も検察も弁護士も人間である以上、ときには間違えることだってある。だから、過去に誤りがあったのなら、素直に認めればいいだけの話ではないのか。私はそう思ってしまう。

弁護団の発言が終わり、記者からの質問に移る。特に新しい話は出なかったので、ここからはひで子さんの発言集にする。

Q. 再審が開始された今のお気持ちは?

ひで子さん「裁判というのは90歳になって初めてなんですが、のんべんだらりんとやっているんで…、今日検事さんの言うことを聞いていて、これじゃあ57年もかかるわけだよ!と思いました」
思わず会場が爆笑で包まれた。(よく考えれば笑い事ではないのだが……)

Q. 裁判官が袴田「被告」ではなく袴田「さん」と呼んでいたことについてどう思ったか?

小川弁護士が「さん付けで呼ぶことは最近の法廷では大分浸透しているが、このような死刑を求刑するような重大事件の被告をさん付けで呼ぶことは心に残った」と丁寧に回答されていたが、一方のひで子さんは、
「ぜんぜん気が付きませんでした」
とあっけらかんとしていた。

Q. 罪状認否で「お世話になりました」と検察庁にも言ったのはなぜか?

ひで子さん「私は"礼儀として"申しました。裁判所と弁護士だけではなんだかおかしいでしょ?(笑)」
”礼儀として”と何度も強調して繰り返す皮肉交じりの発言に、また会場が笑いに包まれる。

Q. 罪状認否のときに声が震えていたがなぜか?

この質問を誘導尋問のように何度かされていたが、ひで子さんは「自然に声が震えただけ」「特に理由はない」の一点張り。
記者の方々は感動的なストーリーを求めているのだろうが、欲しい答えは絶対にあげないという意地悪のように見えて面白かった。

最後にひで子さん、弁護団が今後の意気込みを述べ、19:00すぎに会見終了。

私にとって、あまりにも長く濃密な一日だった。

記者会見が終わってすぐ、何だか感極まってしまった私は、「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」事務局長・山崎さんに駆け寄り、「何か力になりたいです!!!」と言いに行ってしまった。山崎さんは、実際に血液を付けた衣類を味噌に漬ける実験を行って再審開始に繋げた、とにかく物凄い人物である。

現在、支援活動をされている方の年齢層はかなり高めである。若い頃から支援をしている方も、やっと再審が開始するまでにそれは長い年月を経てしまった。
私に対して「若い方が参加してくれてありがたい」と言ってくださる方も多くいらっしゃって、非常に嬉しく思う。

しかし私はむしろ、年齢的にも、知識などの点でも、未熟であることを恥ずかしく思ってしまう。それに、支援活動をされている方は皆若々しく元気で、とてつもないエネルギーを持っている。23歳の私は圧倒的に若いのにもかかわらず、体力も気力も行動力も、とても敵わない。

私が袴田事件という名前を知った時点で、もうすでに冤罪だというイメージは出来上がっていた。しかし、そう認識できていたのは、私が生まれる前から今までずっと、逆境を乗り越えて闘い続けてきた方々の功績にほかならない。

私はうまい汁を吸っているだけにすぎないのではないか、と不安になる。決してそんなことはしたくないのだが、じゃあ今から私にできることって何だろう、とぐるぐる考えてしまう。

まだ答えは見つかっていない。とりあえず今はなるべく事件に関わって、色んな人の話を聞いたり、たくさん本を読んだり、何でもいいからがむしゃらに頑張ってみようと思っている。
そしていつか、袴田事件を長い間支援してきた方に認めてもらえるようになるのが目標だ。

ーーーーーー

熱くなってしまってすみません。
これはあくまで私個人の思いであって、一人でも多くの人が袴田事件に興味を持ってくださる、心の中で応援してくださる、それだけでもう十分だと思っています。

第二回公判は静岡地裁で明日11月10日(金)、開廷は11時。
傍聴整理券交付時間は8:30~9:00
※詳細は裁判所HPに記載されています。

予定が空いている方はぜひお越しください。
傍聴は難しくても、通勤・通学前等に静岡地裁前の雰囲気だけでも味わいに来てください。闘い続ける人間たちの底知れぬエネルギーを感じられると思います。

それでは、今日は傍聴券が当たるように徳を積んで、寝坊しないように早めに寝ることにします。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

清水生まれの私と「袴田事件」:自己紹介とこのブログについて

袴田事件」についてご存じだろうか。

おそらく大半の人があまり詳しくは知らないだろう。すでに無罪になった冤罪事件だと思っている人も多いかもしれない。

事件現場の近く、静岡県の清水で生まれ育った私も、つい最近までこの事件のことなど何も知らずに生きてきた。

袴田さんが釈放された2014年当時、私は中学1年生で、はっきりした記憶はない。近くで起こった事件だと知ってはいたが、おそらくほかの四つの死刑冤罪事件と同列にしていたと思う。

それほど、袴田事件は私にとって近いようで遥か遠い事件だった。

私は2000年生まれの現在23歳。
昨年度大学を卒業、今はフリーライターをしている。
...なんてかなり大袈裟に言っているだけで、実際は実家暮らしの無職。ほとんどは寝っ転がって生きている。

2003年、エスパルスドリームプラザにて。

2023年3月、袴田事件の再審開始が決定した。

静岡地裁で開かれるなら近いから行ってみようかな。
そんな軽い気持ちで、とりあえず予習のために関連する書籍を読み始めた。
私はすぐに、何も知らなかったことを恥じることになった。

事件の概要だけざっくりとまとめればこのようなものだ。

袴田事件」とは
・1966年6月30日、静岡県清水市横砂(現静岡市清水区)で一家四人が殺害された、強盗殺人・放火事件。
・逮捕された袴田巖(当時30)が犯行を自白、1980年に死刑判決が確定した。
・裁判で袴田は一貫して無実を主張。検察の違法な取調べによる自白、証拠捏造の疑惑があり、長い間冤罪が疑われてきた。
・2014年3月に釈放、2023年3月に再審開始が確定、10月から再審公判が始まる。

ずさんな捜査に過酷な取調べ、検察側の矛盾した論理展開や捏造……、素人目線から見ても、この事件、語ろうと思えばキリがないほどおかしな点が多すぎる。

取調べの記録を見ただけでも想像を絶する。
20日以上にわたって、毎日平均12時間ほど、最長だと16時間以上の取調べが続いている。しかも炎天下で、トイレにも行かせてもらえず、十分な睡眠も取れないままで。聞いただけでも気が狂いそうになる。

ほかの詳しいことはとりあえずここでは省かせていただく。軽く知りたい方はwikiを、もっと深く知りたい方は支援団体のホームページなどを覗いてみてほしい。

事件から今年で57年になる。
逮捕当時30歳だった袴田さんは87歳になってしまった。

再審が開始されるまでに、多くの支援団体や弁護団、袴田さんの姉ひで子さんなどによる、半世紀にもわたる血のにじむような努力があった。再審初公判の日、実際にその方たちの有り余るエネルギーをこの眼で見て、私は居ても立っても居られない気持ちになった。

袴田さんとその周りの方々のために、私にも何かできることはないか。
清水の人間として、若い世代として、何か力になれないか。
そのような思いから、これから事件を追いながら、拙いながらも自分の言葉で発信していくことを決めた。

まずはこの事件のことを多くの人に知ってほしい。袴田さんの獄中からの叫びを、ずっと闘ってきた方々の咆哮を、聴いてほしい。

そのようなわけで、このブログで今後の公判や支援活動のこと、事件と関わるなかで感じたことなどを上げていく予定です。多くの方、特に若い方や、静岡県民・市民に関心を持っていただくきっかけになれば幸いです。

それでは、今回はこのへんで。
最後までお読みいただきありがとうございました。