9月26日木曜日、午後2時すぎ。
袴田巖さんに、無罪判決が言い渡された。
逮捕から58年、死刑確定からは44年。あまりにも長い年月であった。
今回は無罪判決当日の様子をお伝えしていく。
といっても、あまりにも人が多く忙しなく、私もいつものごとくテンション高く走り回っていたため、私の目線から見た一日と、ちょっとした小話なんかをしていこうと思う。
朝、大賑わいの静岡地裁前
9時半から10時に傍聴整理券配布、14時から開廷、というスケジュール。
いつの間にかすっかり支援者となってしまった私は、8時半前には到着。当日は5時半起床。
メディアがたくさん入るし、嬉し涙でぐちゃぐちゃになりたくもないから、メイクに時間がかかるのだ。
ステージや横断幕の設置などを(ほとんどは屈強な男性に任せ)手伝ううちに、人もメディアもどんどん増えてくる。初公判以上のお祭り騒ぎだ。
ついに迎えた判決の日である。私も含め、皆さまの高揚感や緊張感を肌で感じる。
支援者をはじめ、日弁連の方々や静岡県など各地の弁護士会の方々、今までの再審公判や、ネット上での発信の中で知り合った方々の姿も多く見られた。
2014年にここ静岡地裁で再審開始と巖さんの釈放の決定を出した、村山浩昭元裁判長の姿もあった。
余談だが、私は一目惚れして買ってしまった真っ白のワンピースで参戦。
潔白の白に、胸の二輪のチューリップは、巖さんとひで子さんに捧げるために、なんて、後付けだが。
こんな私だが、この日は本当にいろいろな方から取材なども含めてお声がけいただいた。
はじめましての方、なんで私のこと知ってるんですか!?というような方から、「なかがわさんですよね...?」と声をかけていただいたりして、なんとも畏れ多い。ありがとうございます...。
判決のほかにもう一つ楽しみにしていることがあった。
お笑い芸人のこたけ正義感さんこと、小竹克明弁護士がいらっしゃるという情報だ。実は私、かなりのお笑いオタクでもあるので、前日夜からはしゃいでいた。
「こたけ正義感」のサインも「弁護士・小竹克明」の名刺も貰い、お写真を撮っていただき、握手もしていただき、もう贅沢すぎるファンサービス!号泣です。
この日は小竹弁護士として日弁連のお仕事とのことで、夜まで走り回っていらっしゃいました。お疲れさまでした。
倍率12倍越え!500人の長蛇の列
今までの再三にわたる静岡地裁への要請の末、判決当日だけは、やっと一番大きな201号法廷を使うことができるようになった。
時間になり、静岡地裁の構内に、一気に人が雪崩れ込む。傍聴席は40席。そこに502人が集まったという。倍率は計算すると12.55倍。
私は今まで全15回の公判に全て通い、幸運にも8回も傍聴できた。そして16枚目の傍聴整理券(リストバンド)を手首に巻いてもらう。
これで最後か、と少し寂しいような思いにもなる。いや、これで最後にしてもらわなきゃ困るのだけど。
10時45分、運命の結果発表。
私は外れました。まあさすがに、という感じでしたが、見たかったなあ。
しかし、運命というのはすごいものだ。
凶器のくり小刀を売ったとされた沼津の刃物店の息子で、再審公判にも集会等にも群馬県からいつも通われていた、高橋国明さんが見事当選した。
もう一人、袴田事件を描いた漫画「スプリット・デシジョン」の作画を担当された、元プロボクサーで漫画家の森重水さんも当選!
いつもよくしていただいているお二人の当選に、自分のことのように胸が熱くなる。
「スプリット・デシジョン」を含め、森さんの漫画など、こちらから読むことができます。
14時、判決の時
「そろそろかな......」
14時すぎ、静岡地裁前、報道陣も支援者たちもぎゅうぎゅうに押し合い、カメラを構えながら時計を睨み、固唾を呑んでいた。
「来た!」
裁判所のドアが開くと同時に、記者たちが一斉に走り出し、大きな声で「無罪!」と叫んだ。どっと喚声が沸いた。
「ばんざーい」「ばんざーい」「ばんざーい」いつまでも鳴りやまぬ拍手が轟いた。
......なんて本当は書きたかったのだが、実は私はその場から少し離れた場所にいたのだった。
裁判所正門前で構えていたところ、記者たちが全員違う方へ走って行き、遠くに万歳三唱を聞きながら、無罪なんだな、と思いながら、小さく拍手をしたくらいだった。失敗した!!
すぐに万歳三唱が聞こえたほうへ向かい、手当たり次第に色々な方と固く握手をした。
無罪判決が出ることは全員が承知の上だっただろうが、全員の顔がぱっと明るく、煌めいていた。
私自身は、あのときどう思ったかと言われると、実感がないというのが答えだった。
ただ、ひたすらに嬉しかった。私の顔も、きっと弾けんばかりに明るく笑っていただろう。
「控訴をするな!」響くシュプレヒコール
無罪の一報を受けて、すぐに静岡地検へ向かう。
「「「袴田さんは無実だ!」」」
「「「検察官は控訴をするな!」」」
検察庁の前で、何度も何度も叫んだ。いわゆる「シュプレヒコール」というものだ。
こんなことは生まれてはじめてだったが、自然と、本当の言葉として、勝手に大声が出た。
気持ちよかった。袴田さんの無実を、堂々と叫べるということが。58年間虐げられてきた権利を、正しく主張できるようになったということが。
この熱狂の中で、「無罪判決」という言葉の重みが、だんだん身に沁みていったように思う。
「三つのねつ造」の衝撃
無罪になるというのは当然のことで、重要なのは「”5点の衣類の”ねつ造を認めるかどうか」だった。
裁判所前にいると、中に入っている記者らの情報から、どこからともなく「三つのねつ造を認める」という単語が伝わってきた。
すごい!すごいぞ!ねつ造を認めたぞ!という高揚と、「三つ」という数字への衝撃が、支援者や報道陣を一気に襲った。
「三つ」ってなんだ?
答えは5点の衣類のズボンの切れ端である「共布」と、まさかの「自白」だった。
今回の再審公判では、検察官は有罪立証に自白を用いないことになっていた。それはもちろん、取調べの違法性は暗黙の了解であったからだろう。
その自白を、あえて「ねつ造」と認定した。あまりにも画期的な判断であった。
「よく書いてくれた...」村山先生、判決要旨を目にして
15時半頃、私は再び村山先生のそばにいて、いろいろとお話しさせていただいていた。その村山先生に、誰からか手が伸びて、判決要旨の一部が手渡された。
「主文 被告人は無罪。」
その文字が、私の目にもすぐに飛び込んできた。
ああ、現実なんだ。本当に無罪なんだ。私はここでやっと実感した気がした。
村山先生が、貪るように紙をめくっていき、文章を食い入るように見つめた。私もたまらず、横から見させていただいた。
「証拠には、三つのねつ造があると認められ、……」
「捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって……」
「発見に近い時期に、本件犯行とは無関係に、捜査機関によって血痕を付けるなどの加工がされ、1号タンクに隠匿されたもので、……」
首を激しく上下に振りながら判決要旨を見つめる村山先生の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「そうなんだよ……そうじゃなきゃ、説明がつかないんだよ……。よく書いてくれた……よく踏みこんでくれた……」
喉の奥から絞り出したような声で、村山先生が呟いた。
村山先生が10年前、同じ静岡地裁で、どれほどの思いを込めて再審開始決定を書いたか。それが棄却され、差し戻され、確定するまでの9年間、どれほどのものを背負い続けてきたか。今回の無罪判決に、どれだけ期待を抱いてきたか。
その計り知れない重みの発露の瞬間に、偶然ながら立ち会ってしまった。
ついに、びろーんのとき
16時10分頃、待ち構えた大勢の人々、カメラの前に、ひで子さん、弁護団の皆さまが姿を見せた。
ついに、このときが訪れた。通称「びろーん」と呼ばれる、あれ、あの瞬間である。未来永劫残り続けるであろう、幸せを具現化したような瞬間!
人にぎゅうぎゅう押されながら、なんとかつま先立ちをして、人と人の微妙な隙間に目とスマホのカメラを押し込んだ。この場所に居合わせられたことを、私は心より誇りに思う。
次に場所を移動して、駿府公園内のステージ(軽トラ)の上から、ひで子さん、小川先生が挨拶を行った。こちらもまた幸せの瞬間であった。
「本当にありがとう!」
いつも明るいひで子さんが、いつもの10倍明るい笑顔で、力いっぱい叫んだ。
みんな笑顔だった。
ひで子さんも、小川先生も、弁護団の先生方も、支援者の方々も、報道の方々も、笑顔で溢れていた。
浜松にいる巖さんも、お空から見ている西嶋先生も、みんな笑顔だろうと思った。
大好きな人たちの笑顔を見ることが、こんなにも幸せだということを、はじめて心の底から知った。
記者会見
17時半ごろ、静岡市民文化会館にて、記者会見。
「裁判長さまの、主文、被告人は無罪というのが、神々しく聞こえましたの」
無罪判決を聞いて、1時間ほど涙が止まらなかったというひで子さん。
ひで子さんも泣くのか。そりゃ、泣くか。泣くよね。少し不思議な気持ちで見つめる。
ひで子さんも、弁護団の先生方も、裁判所に入る前に比べて10歳くらいずつは若返っているような、ぱあっと明るくなったような印象を受けた。
会見後、畏れ多くも、本物の旗を持たせていただくなどしました。
10年前に「再審開始」の旗を出した白山聖浩弁護士が、この日は「証拠ねつ造を認める」の旗を出した。
当時は「再審開始の人」と言われることもあったそうだが、10年経って「証拠ねつ造を認める人」になっちゃいましたね~なんてお話しする。白山先生、10年経っても見た目が変わらないから脳がバグるよね。
長い一日の終わり
記者会見が終わり、打ち上げ会場に向かうと、ちょうどひで子さんが帰ろうとしているところだった。
ひで子さんの手を握って、おめでとうございます、とお伝えできた。それだけで幸せな、本当に幸せな瞬間だった。
打ち上げでは、弁護団の先生のお話を聞きながら、左手はスマホで判決要旨をスクロールしながら、右手に呷るビールが美味しいのなんの。こんな美味しいビールもたぶんこの先ないよ。
疲れた頭に酔いが回って、幸せ~と自然に声が漏れるような、そんな時間でした。
闘いは終わりじゃない
無罪判決は出た。それは本当に喜ばしいニュースで、国民、全世界の人々が、歓喜に沸いたことだろう。
しかし、闘いはこれからだ。まだ、10月10日の夜12時まで、検察は控訴をすることが可能である。
控訴を阻止し、一刻も早く無罪を確定させるため、私も判決翌日の朝から、ビラ撒きなどの活動に励んでいた。
支援者や弁護団が、毎日のように控訴阻止のための運動や、静岡地検や東京高検への要請行動を行っている。
しかし、検察へ声を届けるためには、私たちだけの力では足りません。皆さま一人一人のお力が必要なのです。
下記リンクから、オンライン署名へのご協力、そして拡散を、お願いいたします。
次の日、もう一つ見なければいけないものがあった。
「無罪判決」の旗と一緒に作った大きな垂れ幕が、小川秀世法律事務所に垂れ下がっていた。
わざわざ出てきてくださった小川先生の素敵な笑顔で、今回は終わりにします。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。