清水っ娘、袴田事件を追う

清水生まれの24歳が袴田事件再審と関わりながら学んだこと。

「もう一度死刑と言えますか?」検察へ~結審直前の私の思い【袴田事件再審】

半年余り続いた再審公判も、5月22日でようやく結審を迎える。そしてそこで、検察官はおそらく巖さんに死刑を求刑する。

先日、支援団体の静岡地検への要請活動にも参加させていただき、死刑求刑をやめるよう申し入れを行った。やめろと言ってやめるだなんて端から思ってはいない。それがきっと、検察としての意地とかプライドだとか、そんなくだらないものなのだろう。それでも、結審の日が迫る今、思っていることを乱文ではあるが書き留めておく。

私は、今までの全14回の公判のうち8回も傍聴させていただき、弁護団の皆様の勇姿も、検察官の悪足搔きもたくさん見届けてきた。

その中で、死刑を求刑するということについて、初めて考えたのは今年1月の第7回公判の最中だった。西嶋弁護団長の訃報を受けた直後のことで、死というものを特に身近に感じていた時期だったからかもしれない。

傍聴しているときに急に、今目の前に座っている検察官たちが、巖さんを死刑にするべきと言うのだ、と気付いた。その瞬間に、さっと背筋に冷たいものが走ったのだった。

頭の中にいくつかの断片的なイメージが浮かんだ。巖さんの穏やかな顔。握った手のあたたかさ。「耐えがたいほど正義に反する」長期間の拘置から解放され、ひで子さんとともに暮らす、明るく居心地の良い部屋。

ただ、怖かった。巖さんが凄惨な強盗殺人を犯したと、空疎な主張を繰り返しているあなたたちこそ、一人の無実の人間を殺そうとしているではないか。その重みを理解しているのかいないのか、澄ました顔で座っている彼らが恐ろしかった。それは正義感から来る怒りのようなものではなく、ただ、人間としての根源的な恐怖だった。

巖さんとルビーちゃん。2024年2月17日。

担当されている検察官は、おそらく30代か40代くらいだろう。事件が起きた1966年当時に生まれていないのはもちろんのこと、巖さんの死刑が確定した1980年にすら生まれているか微妙である。

もちろん、どうせ上から押し付けられているのだろうと、ある程度同情的に見てはいる。だが、何もこんな人道に反することをするために、苦労して検察官になったわけではないだろう。正義を守るために、検察官という職を志したのではないのだろうか。それとも、組織の中で揉まれているうちに、そんなピュアな心などすでに毒されてしまったのだろうか。

私なら、自分の正義を曲げなければならないのなら、そんな仕事などすぐにでも捨ててやる。正義よりも守りたいものがあるのだろうか。お金か、地位か、名誉か、それとも。わからない、私にはまったくわからない。

本当にわからないことだらけだ。この期に及んで無理な有罪立証をすること、死刑求刑をすること、それがどうして検察のプライドなのだろうか。間違ったことを間違っていたと言えない、そんな恥ずかしいプライドなら捨ててしまえばいい。

1966年、それは現在23歳の私には想像もつかないほど、あまりにも昔だ。58年もあれば、社会文明も人間も、跡形もないほどまで変わる。30歳で逮捕された巖さんは、今年米寿を迎えられた。当時を知っている人は高齢になり、すでにこの世を去ってしまった人も多い。

もういいじゃないか、と私は思ってしまうのだ。そんな大昔のこと、もういいじゃないか、と。過去に違法な捜査や取調べ、ねつ造などが起こってしまったことは仕方がない。もう今更取り返しなどつかない。

だが、その責任は、今現役で働かれている検察官一人一人には一切ない。過去のことは過去のこととして、過ちがあったのなら素直に認めればいい、それだけの話ではないか。たったそれだけのことが、どうしてできないのだろうか。

事件から今年で58年、死刑確定からは44年になる。あまりにも長すぎる年月だ。再審開始までに長い年月がかかってしまったのは、他にも再審法の不備などさまざまな問題を孕んではいる。しかし、この約半世紀という時を経て開始された再審こそが、検察にとってはまさに変わるチャンスであったのではないか。これからでも決して遅くはない。間違っていたことは素直に認めて謝罪する、人として当然のことをすればいいだけの話だ。

警察も検察も、正義のヒーローだと思っていた。呑気にそう思っていられれば幸せだったのかもしれない。こうして袴田事件に関わらせていただくまで、こんなにも現在進行形で腐っているなんて知らなかった。警察や検察によって不当に人権を侵害される恐れがある国で、この先いったい何を信じて生きていけばよいのだろうか。

寿命通りなら、私はあと半世紀以上は生きる。これから結婚して、子供を産むかもしれない。もしかしたら孫や曾孫くらいまでできるかもしれない。自分自身の子供に対して、「けいさつをしんじたらだめだよ」なんて、私は言いたくない。そんな心苦しいこと、言わせないでほしい。

警察・検察がすべて悪だなんて言うつもりはない。一生懸命にお仕事に取り組まれている方々がいらっしゃるからこそ、毎日安心して生活できているのは間違いない。

ただ、単純に疑問なのだ。こんな組織に属していて、幸せなのだろうか。自分が正しいと思ったことを100%できているのだろうか。息苦しさを覚えたりしないのだろうか

取調べの可視化などが進み、昔ほど酷い冤罪はもう作られていないと信じたいが、根本的には1966年当時と何も変わっていないように思う。どうしてこんなにも変わらないのか、変わろうという動きが見えないのか、ひどく不気味に見える。

この再審の結果は、必ず凝り固まった司法を変えるための指針となるはずであるし、そうならなければいけない。巖さんが奪われたものはあまりにも大きくて、とても取り返しはつかない。それでも、巖さん、またひで子さんが、今も元気で長生きしてくださったからこそ、お会いすることができた。

お二人や、また何十年も支えてこられた弁護団や支援者の皆様の思いを、若い世代である私は、後世に受け継いでいく責任がある。私一人に何か大層なことができるかはわからない。ただ、この再審公判で見たもの、感じたこと、皆様から学ばせていただいたことすべてを、私は死ぬまで忘れない。袴田事件再審以後の日本を、全力で生きて、この目で見つめ続けてやる。

今、そんなことを考えています。