私は大寝坊して慌てて家を飛び出して静岡地裁まで猛ダッシュ。おまけにいろいろと忘れ物をするわ、腕時計は電池が切れているわ、なんだか今日はすべてが裏目に出る日だなあ、と朝からしょげる。
しかし、それなら逆に、と傍聴券が外れるイメージをしながら走ってみたところ、その作戦が功を奏したのか、見事当選!5回中3回、今のところ6割の勝率である。
この日の朝は、いつも支援者たちが集まって話をしている場所に、珍しく同世代くらいの男性がいたので声をかけてみた。聞けば、東京から来た法学部の学生さんで、ゴリゴリの傍聴マニアだという。
夜行バスで静岡まで傍聴券を求めに来たそうだが、残念ながら外れてしまった。歴史に残るものすごく大きな再審である。傍聴したい人は全国にも多くいるだろうが、傍聴券が外れてしまえば無駄足になってしまう。もう少し門戸を広げてほしいものだとつくづく思う。
傍聴記
今回の公判は、検察側の主張③「袴田さんが犯人であることを裏付けるその他の事情」について。前半に検察側、後半に弁護側から、双方の主張が繰り広げられた。
検察側の主張は、強盗の動機や、くり小刀のことなど、直接的に事件とは関係がない点ばかり。聞いていて、「だから何?」の連続で疲れてしまった。しかし、弁護側の角替先生&西澤先生の美人タッグが、検察の主張に対して、逐一ビシッと反撃を決めた。
今回、検察側と弁護側で同じ証拠を用いている部分がいくつかあったのだが、その切り取り方や解釈の仕方によって、有罪の根拠にも無罪の根拠にも使われるという点が興味深かった。
11:00 開廷
検察側
検察側の主張③「袴田さんが犯人であることを裏付けるその他の事情」について。間接的で細々とした証拠について、長々と主張が行われた。
(1)動機(=強盗目的)があった
袴田さんは、事件当時お金に困っていて、強盗殺人の動機があったと改めて主張。
その根拠としては、専務からの給料の前借りや借金、質入れを行ったりしていたことが挙げられた。また、袴田さんが競馬や競輪をしていたと元妻が証言している。また、同僚の前で、強盗の話や、専務の売上金の金額の話をしていたなどという証言もある。また同じ頃、子どもが事故に遭ったと嘘をついて専務夫人から1万円を借りて、実際は三輪車を買っていたという証言も挙げられた。
これらの証言がすべて事実だとして、袴田さんは決して裕福ではなかっただろうが、ひどくお金に困っていたという証言もない。何より、あれほど惨い強盗殺人・放火を犯すほどの理由がどこにあるだろうか。
(2)凶器はくり小刀である
①「くり小刀が凶器ではない」という鑑定書は信用性が乏しい
凶器とされている、「刃渡り約12㎝のくり小刀よりも深い傷がある」とする鑑定に対して、実際に深さを測ったわけではなく、数値もばらつきがあり、信用できないものだと主張。
また、くり小刀で肋骨を切ることはできないとする鑑定に対し、過去にくり小刀が凶器になった事件が7例ほどあり、肋骨貫通の事例もあると指摘する。
くり小刀で人を殺せるの?と後から軽く調べてみたのだが、確かにいくつか存在はする。しかし、そのほとんどは、心臓などに思い切り一突き、というものだった。あの小さなくり小刀が、人を40回以上も刺すのに耐えられるとは、素人目に見ても到底思えない。
②刃物店の店員の証言
袴田さんがくり小刀を購入したとされる沼津の刃物店の店員は、警察の捜査で見せられた複数枚の写真の中から袴田さんの写真を選び出し、「見覚えがある」と裁判で証言した。
しかし、後の1991年に、弁護人・支援者に対して、袴田さんの顔に見覚えがなかったことを告白している。
それについて検察は、弁護側が店員に対して、袴田さんを死刑に追いやったのだという罪悪感を追わせて言わせたものであり、信用性がないと主張する。つまり、検察に誘導されたと言うように、弁護人が誘導した、と言いたいらしい。うん...…?
(3)袴田さんの身体の傷
袴田さんの ①左手中指の切り傷、②右肩の傷、③脛の傷 は、犯行中にできたものであると主張
左手中指の傷について、袴田さんは事件直後に浜松の病院を受診しているが、そのときの医師は内科が専門であり、供述もぶれていると指摘。また、この傷に関する袴田さん自身の供述は変遷しており、信用できないとした。
脛の傷については、逮捕時の身体検査の記録には一切記述がないのだが、あくまで「簡略な検査」であり、そこまで詳しくは見ていないと主張。ズボンにかぎ裂きができるほどの傷でも見逃してしまうくらいの“簡略な”検査なのに、足の裏にある小さな古い傷はわざわざ見つけて記載するらしい。
(4)パジャマ
パジャマから袴田さんのものではない人血が検出されたこと、混合油が検出されたことを再度主張した。
これらのことが、袴田さんの犯行を裏付けるものだと主張し、改めて犯人は袴田さんである、と締めくくった。このような主張がやっと終わったのが14時20分頃。まだそんなこと言っているのか…だったり、だから何だよ…だったり、呆れかえってすでにぐったりと疲れてしまった。
14:20~ 弁護側
しかし、ここから弁護側の見事な反撃がスタート。
各項目について、冒頭陳述は角替先生、要旨の告知は西澤先生の美人タッグで、痛快に反論を展開。終わり良ければすべて良し。最後にはすっかり気分良く退廷できた。
(1)袴田さんの左手中指の傷は、消火活動中に負ったものである
袴田さんの左手中指の傷は、事件発生から2ヶ月以上経った9月8日に初めて写真撮影されている。傷の存在自体は警察も知っていたので、つまりは大した傷だとは思っていなかったということだ。
袴田さんは7月3日に浜松の病院を受診している。しかし、その翌日の7月4日、従業員に連れられて清水の病院を受診し、そこにはなぜか警察の嘱託医もいた。これは「事実上の身体検査」である。
嘱託医は「鋭利なもので切った傷」と証言したが、袴田さんは嘱託医に手も取られていないという。またこの際も、傷の写真は撮られていない
また、袴田さんはこの傷を「消火活動中にできた」と一貫して述べており、変遷などしていない。必死の消火活動中のことであり、具体的にいつどこで傷ができたのかは、本人にもわからないのは仕方がない。しかし、検察はその発言の曖昧さを、「供述のぶれ」だと主張するのである。
そして、消火活動中に怪我をしたのは、決して袴田さんだけではない。しかし、その事実は、約40年間隠蔽されてきた。消火活動中に怪我をするのは全く不自然ではないのにもかかわらず、わざわざ隠す必要性はどこにあったのだろうか。
(2)袴田さんのパジャマの鑑定結果は信用できない
そもそも、袴田さんのパジャマは、1966年7月4日の工場内の捜索の際に、「任意提出」されたものである。血痕かどうかも判断できないほどの、小さなしみがあるだけだからこそ「任意提出」となったのであり、もし明らかな血痕があれば、すぐに「押収」することができたはずである。
肉眼で見えないほどの血痕から血液型鑑定を行うのは、当時の技術では困難だと考えられ、鑑定結果は信用性がないと主張。また同じく、混合油が検出されたという鑑定も信用できないものだとした。
ここで、パジャマの実物が登場。鑑定のために布面積の半分近くは切り刻まれ、白いシャツの上に貼り付けられて、やっと服の形を保っている。水色と白のストライプのパジャマは、古いものにしては状態も綺麗で、むしろ清潔感すら感じる。
にもかかわらず、これが「血染めのパジャマ」とされ、取調べにおいても悪用された。取調官たちは、「パジャマにべっとり血油がついている」などと虚偽の内容を言って、袴田さんに自白を執拗に迫ったのだ。
何の罪もないのに、虚偽の内容で悪用され、原形がないほどに切り刻まれたこのパジャマもまた、冤罪被害者だ。法廷に広げられたパジャマは、自身の無実を悲痛に訴えているように見えた。
(3)刃物店店員の供述が歪められ、悪用された事実
袴田さんの顔写真を選び出したとされる刃物店の店員は、後に「見覚えがある人はいなかった」と告白している。検察側は、弁護人や支援者がそう誘導したのだと主張するが、その告白に誘導などなかったことは、全文を読めばわかることだと反論した。
そもそも、数ヶ月前に一度来店し、珍しくもないくり小刀を購入したお客さんの顔をいちいち覚えているかも疑問だと主張。
また、警察が示した28枚の写真には、なぜか袴田さんの写真だけが2枚入れられており、店員はそのうちの1枚のみを選んでいる。さらに、この際の供述調書は作られていない。このように不自然な点が多くあることを強く主張した。
(4)売上金の所在を知っていることは犯人性を裏付けない
袴田さんが当時お金に困っていたとしても、それが強盗殺人の動機とは全く結びつかず、「あまりにも論理が飛躍しすぎている」と激しく非難した。
検察が、袴田さんがお金に困っている根拠として挙げているものにも逐一反論。
まず、専務宅に売上金があることは誰もが知っていることだった。袴田さんが「専務の集金袋にはいくらくらい入っているかな」などと言っていたのを聞いたという従業員も、冗談として受け止めたと証言している。
ギャンブルをしていたというのは噂程度にすぎない話で、借金をしたことはあるが、しっかりと返済している。質入れをしたことも事実だが、決して大した額を手に入れたわけではなかった。
このような話を繋ぎ合わせれば、当時の袴田さんは、決して裕福でもなければ几帳面なわけでもないが、それほど困窮しているということもない、どこにでもいるごく普通の30歳の男性ではなかったか。少なくとも、強盗殺人という大きすぎるリスクを冒してまで、金品を手に入れようとするような部分は全く見えてこない。
(5)袴田さんの「アリバイ」を明示する証言の数々
みそ工場の従業員らは、火災直後に袴田さんの姿を見ていないと法廷で証言した。
しかし、実際には、火災発生時から鎮火するまで、従業員らが袴田さんの姿を絶えず目撃しているという証言が、第2次再審請求審になって開示されたのである。
開示された調書によれば、7月時点では従業員らが皆「袴田さんを見た」と証言している。しかし、8月に入った頃から、「見ていない」「誰かわからない」「覚えていない」など、従業員らの証言が不自然に変遷していく。このように、当初の従業員らの証言は隠蔽され、嘘の証言によって袴田さんは陥れられた。
また、改めて5点の衣類の問題も浮上する。消火活動中の混乱のなかで、工場には入れ代わり立ち代わり従業員が出入りしており、犯行着衣をみそタンクに隠すような暇などない。これらのことから考えても、袴田さんが犯人ではない、と強く主張された。
17:20 閉廷
弁護団の皆様にたくさんの拍手を送りたい気分で法廷を後にする。
18:00頃~ 弁護団記者会見
ひで子さんは「検察が小さく見えた、絶対に勝つ」と笑顔を見せた。2023年最後の公判でもあり、「来年は今年よりもっと素晴らしい年になる」と述べられ、あたたかい拍手が巻き起こる。
西嶋先生は、「ことごとく反論できた」と評価された。小川先生も、「直接的ではない部分なので逆に反論しづらく心配だったが、すごくよかった」と述べられた。
しかし、角替先生が、「なんでこんなものを再審でまでやらなきゃいけないのか。無駄な一日だった」と顔をしかめられて、ああ、確かにそうだった、とそこでやっと今日の論点を思い出した。それでも、当時は「血染めのパジャマ」と大々的に報道されたパジャマの実物を見せられたことなど、弁護団にとって有益な一日にはなったようだ。
ここまで来るのに果てしなく長い時間はかかったが、2024年、やっと巖さんのもとに真の自由が訪れる。それは、人生をかけて闘い続けてきたひで子さんや、弁護団、支援者の方々にとっても、溢れんばかりの幸せに満ちた、素晴らしい年になることだろう。